タイプライターに魅せられた男たち・第157回

山下芳太郎(12)

筆者:
2014年11月20日

一方、西園寺は、日本語の書字改革に対しては、むしろローマ字の使用を推進していました。西園寺がバックアップするローマ字ひろめ会は、日本語から漢字もカナも追放して全てをローマ字だけで書こう、という、非常に先鋭的な理念を掲げる団体でした。西園寺は1907年1月21日、ローマ字ひろめ会の会頭に満場一致で選出され、日本語の全面ローマ字化に邁進していました。ただ、山下の見たところ、ローマ字ひろめ会は、どうも内部分裂が起こっているようでした。「シ」という音を「shi」と書くべきか「si」と書くべきか、あるいは、「チ」という音を「chi」と書くべきか「ti」と書くべきか、また、「ツ」という音を「tsu」と書くべきか「tu」と書くべきか、会員の意見が一致を見ておらず、いわゆる「ヘボン式ローマ字」派と「日本式ローマ字」派との間で、派閥抗争が勃発していたのです。

山下は、ローマ字ひろめ会の理念には共感するところがあったものの、ローマ字が日本語の書字に適しているとは、到底思えませんでした。タイプライターの使用を考えた場合、確かにローマ字は便利です。しかしローマ字は、もともとラテン語を書くための文字であり、フランス語や英語には適しているかもしれませんが、日本語には全く合っていないと考えたのです。たとえば、日本語の「タケ」をローマ字で表すと「take」ですが、これは英語の動詞「take」と同じ綴りになってしまうので、かえって面倒が増えるのです。漢字という中国語のための文字を、日本語から追い出そうとしているのに、その目的のために今度は、ローマ字というラテン語のための文字を呼び入れてしまう、というのは、日本語の「進化」ではない、と山下は考えたのです。

1907年5月の西園寺は、5日に伊勢神宮、6日に津、16日に上野公園での東京勧業博覧会、23~29日に金沢と、山下を連れて、日本中を走り回っていました。1907年6月8日には、川村純蔵が内閣総理大臣秘書官に加わり、西園寺の秘書官は、山下、中川、川村の3人体制になりました。そんな中、ハーグ密使事件が起こります。大韓帝国が、ハーグで開催中の万国平和会議に密使3人を送り込み、平和会議への出席を要求、日本を誹謗するビラを配り、さらには各国代表への面会を求めた事件です。大阪毎日新聞は7月9日のトップ記事「対韓処置断行の機」で、こう伝えています。

和蘭(オランダ)国ハーグに現れたる韓人李相卨、李儁、李瑋鍾の3名が、韓帝の玉璽を鈐せる特派使節たるの委任状を有すと称し、各国委員の間に運動して平和会議に参列せんことを求めて省せられず、蘭国外務大臣に訴えて又拒絶せられたるにも拘らず、なおその運動を中止せず、既に各国委員に宛てたる公開状を同地の新聞紙に掲げ、日本が韓帝の承諾なくして外交権を奪えるの非を鳴らし、かつ日本の悪政を列挙して各国委員に訴え、かつ同地の国際協会に公開演説を開き、『1905年11月17日の日韓条約には韓帝および韓国内閣の調印なきことを指摘し、以て韓国が日本に外交権を委任したりというは事実無根なり、然るに日本が韓国に対して保護政策を行うは不法なり』との趣意を縷述せんとすといい、なお永く滞留して非日本的運動を継続すべしというの一事、我が帝国の眼より見て最も奇異なる而して軽々看過すべからざる事件にあらずや。

この結果、日本国内で対韓強硬論が巻き起こり、各政党の重鎮や財界人がこぞって西園寺を訪問する、という事態に発展しました。山下は秘書官として、それらの人々の対応に追われることになったのです。

山下芳太郎(13)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。