タイプライターに魅せられた男たち・第156回

山下芳太郎(11)

筆者:
2014年11月13日

南満洲鉄道株式会社の設立、それが、満洲・朝鮮の視察をおえた西園寺の決断でした。満洲における日本の権益を考えるならば、撫順の炭坑と大連の港をダイレクトに鉄道でつなぎ、さらには、奉天から安東県を経由して朝鮮へも鉄道を通す必要がある、というのが西園寺の結論でした。そのためには、軌間の異なる鉄道をバラバラに経営するのでなく、日本の国策会社である南満洲鉄道株式会社を設立し、レール幅も経営も一本化して、これらの鉄道を運用すべきだというのです。そうすることで、満洲における日本の権益を、より強固にできるというのです。

西園寺に命じられた山下は、大臣や次官との会同(ミーティング)をセッティングしたり、設立委員の内諾を取ったりと、忙しく走り回ることになりました。南満洲鉄道株式会社設立委員会の委員長には、帝国陸軍参謀総長の児玉源太郎を据え、設立委員79人には、若槻礼次郎、鈴木馬左也、片岡直温が含まれていました。ところが、設立委員長の児玉が、1906年7月23日に急死してしまいます。西園寺は、陸軍大臣の寺内正毅に設立委員長を継がせながらも、台湾総督府民政長官の後藤新平に、南満洲鉄道初代総督への就任を打診しました。これを後藤は受諾、11月10日に南満洲鉄道初代総督に就任し、さらに同日、関東都督府顧問と台湾総督府顧問も兼任することになりました。

山下は、西園寺の秘書官として走り回りながらも、満洲・朝鮮への随行旅行の際に京城で見聞きしたハングルのことが、頭から離れませんでした。大韓帝国では、公文書における漢字使用を廃止し、ハングルだけで書くことを目指していました。書字改革という点では、朝鮮語は日本語より「進化」している、と山下は考えたのです。日本語においても漢字使用を廃止すれば、日本語の書字を「進化」させることができる、という信念が山下の中に生まれていました。

では、ハングルと同様のアイデアが、日本語に適用できるのでしょうか。たとえば「石」という漢字に代えて、「イシ」という読みに対してはイとシの合字を、「セキ」という読みに対してはセとキの合字を、それぞれ使って書けばいい、と山下は考えたのですが、さて、日本語の漢字の読みはいったい何種類あるのか、という問題に突き当たったのです。実を言えば、日本語の漢字の「音読み」は高々300種類かそこらなのですが、「訓読み」はそれこそ無限にあります。「音読み」だけを合字で表すのならともかく、「訓読み」を合字で表すためには無限の合字が必要となってしまって、結局、書字問題の解決にならないのです。ハングルの「」と「」のようなわけにはいかないのです。

南満洲鉄道株式会社鉄道線路図(1909年3月)

南満洲鉄道株式会社鉄道線路図(1909年3月)

山下芳太郎(12)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。