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曲のエピソード
日本に限らず、非英語圏国のポップスが矢継ぎ早に世界中でヒットしなくなったのは一体いつ頃からだろう、とふと思うことがある。例えば、聴きたい洋楽ナンバーのシングル盤がどうしても見つからず、その曲が収録されている昔のコンピレイション・アルバム(恐らく日本独自で選曲+編集したもの)を中古で買うと、そこには英語のポップス・ナンバーに混じってフレンチ・ポップスが収録されていることが少なくない。最近では『僕たちの洋楽ヒット』と銘打った往年の洋楽ナンバーを集めたコンピCDも人気だが、そこには遠慮がちに英語ではない曲も混在している。かつては英語の洋楽ナンバーも非英語のそれも“洋楽”というひとつのジャンルとして成立していたはずなのに、いつの間にかそこから非英語圏の国が姿を消してしまった恰好だ。
筆者がとっさに思い浮かべるのは、フランス語で歌われたミッシェル・ポレナレフの「シェリーに口づけ」(オリジナルのシングル盤は1969年リリース、日本盤シングルは1971年リリース)。小学校低学年の頃、街角でしょっちゅう流れていたことと、近所の仲良しお姉さんが同曲の日本盤シングルを持っていたことをハッキリと記憶しているから。そして借りて聴いたことも(笑)。後年、大学でフランス語を学んだ知人から「シェリーに口づけ」原題の意味は「シェリーは僕の全て」であると教えられて驚いたものだ。が、この曲は「シェリーに口づけ」という洒落た邦題とも相まって大ヒットしたのではないだろうか。
今回のターゲット「You Don’t Have To Say You Love Me」を筆者が生まれて初めて耳にした時、歌っていたのは本連載第100回で採り上げたエルヴィス・プレスリーだった。その際の邦題「この胸のときめきを」も鮮明に憶えている。長じてエルヴィスのヴァージョンがカヴァーだったことを知り(ちなみに彼のヴァージョンは1970年に全米No.11/ゴールド・ディスク認定)、もともとその邦題も既存のものをそのまま反映させていることを知るに至った。歌っているのは、イギリスはロンドン生まれの女性ポップ・シンガー、ダスティ・スプリングフィールド。彼女のことを知らなくても、本連載第104回で採り上げたベイ・シティ・ローラーズの大ヒット曲「I Only Want To Be With You(二人だけのデート)」(1976/全米No.12,全英No.4)のオリジナル・ヴァージョンを歌っていたシンガー、と言えば、そこにかすかな“つながり”を見出せるかも知れない。同曲はダスティのデビュー曲にして大ヒット曲で(1963/全米No.12,全英No.4)、ミュージック・シーンに登場したとほぼ同時にスターの階段を駆け上ったシンデレラ・ガールだった。
ダスティが歌う「この胸のときめきを」にようやく出逢って喜んでいたのも束の間、じつは彼女のそれもまたまたカヴァーだということが判明。真のオリジナル・ヴァージョンを歌っていたのは、イタリア人のシンガーソングライター/作曲家のピノ・ドナッジオ(Pino Donnagio/1941-)なる男性で(若い頃は絵に描いたような色男=マカロニ!)、1965年のサンレモ音楽祭に出席し、この曲を自作自演して入賞を果たした。彼が歌うその曲を目の前で聴いてすっかり惚れ込んだダスティが、友人に懇願して英語の歌詞を綴ってもらい、ようやくレコーディングにこぎつけたという。かなりの入れ込みようである。
イタリアン・オリジナル・ヴァージョンからわずか1年後、ダスティの英語ヴァージョン(そして英語でこの曲を初めてレコーディングしたのも彼女)が晴れてリリースされ、大ヒットに至ったというわけだ。残念ながら筆者は原曲の歌詞の内容を全く理解していない。ダスティのヴァージョンが原詞を尊重してあるのか否かは、イタリア語辞典でも引いて調べるしかない。しかしながら、筆者が持っている英語以外の外国語辞書は、フランス語とスペイン語しかないのだった……(苦笑)。
それにしても長い原題である。これではとてもじゃないけれどタカナ起こしはムリ。恐らく当時の担当ディレクター氏が頭をひねって考えたのだろうが、何とも詩的で切ない日本語を施したものだと、心から感服せずにはいられない。「この胸のときめきを」。「を」で終わっているところに、この曲の余韻が漂っている。
曲の要旨
決して私を離さないと言ってくれたあなた。それなのにあなたは心変わりして私から離れて行ってしまったのね。今の私は独りぼっちよ。私があなたにひざまずいて懇願したら、あなたは戻ってきてくれるのかしら? 私のそばにいてくれさえしたら、「愛してるよ」って言ってくれなくてもいいの。これから先もずっとそばにいて欲しいなんて贅沢は言わないわ。決してあなたを束縛するようなことはしないと約束するから。私に残されたのは思い出だけ。あなたなしの人生なんて空しいだけよ。お願い、「愛してる」って言ってくれなくていいから、私の手の届くところにいてちょうだい。
1966年の主な出来事
アメリカ: | NOW(National Organization for Woman/全米女性機構)が結成される。 |
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日本: | ビートルズが来日し、武道館でコンサートを行う。 |
世界: | 中国で文化大革命(通称「文革」)が始まる。 |
1966年の主なヒット曲
Go Now/ムーディ・ブルース
Tired of Waiting For You/キンクス
For Your Love/ヤードバーズ
Paperback Writer/ビートルズ
Green Green Grass of Home/トム・ジョーンズ
You Don’t Have To Say You Love Meのキーワード&フレーズ
(a) stay
(b) close at hand
(c) tie someone down
いつ頃からだったか、人間が第三者を想う気持ちの度が過ぎると、それを「重たい」と表現するようになった。それに倣って言えば、この曲の主人公が相手の男性に向ける気持ちは「重た」いどころか「重た」過ぎる。筆者は一時期これを“怨念ソング”と勝手に呼んでいたのだが、しばらくしてやめてしまった。と言うのも、ダスティのヴォーカルが余りに真っ直ぐだからである。歌詞こそちょっとtoo muchだが、彼女が歌い上げる思いの丈の深さには、一点の曇りもない。ただただ相手の男性に恋焦がれているだけだ。しかしながら、相手の男性からすれば“「愛してる」って言ってくれなくてもいいのよ”なんて言われたら、かえって(手あかのついた言葉を遣うなら)“ドン引き”してしまうこと必至。特に恋愛に淡泊になってきている気がする今のこの時代にこの歌詞を聴いてみると、かなりヘヴィなのだ。これをシャウト系の女性R&Bシンガーに歌われた日にゃ……(苦笑)。
(a)は誰もが知っている単純で簡単な動詞ながら、そこに含まれている“never leave”のニュアンスを知らない人が意外と多いのではないだろうか。例えば、次のようなフレーズが洋楽ナンバーに出てくるとする。
♪I’m home to stay.
直訳すれば「家で過ごすために(どこからか)帰ってきた」となるが、それだとやはり微妙にニュアンスが違ってくる。正しくは「(こうして家に戻ってきた以上は)もう遠くへは行かない」。よって相手の男性の言葉として歌われている(a)は、「決して君を独りにしない」と同義というわけ。曲の要旨では、「決して離さない」と思い切った意訳をしてみたが、原意は汲み取ったつもりである。
辞書の“hand”の項目にイディオムとして載っている(b)は「すぐ近くに、そばに」という意味で、“near at hand”と言い換えてもOK。このイディオムの面白いところは、“hand”が複数形ではなく単数形である点。筆者が勝手に想像するに、「(愛する相手が)近くにいる」という感覚は、それこそ指1本が触れられればそれでいい、という奥ゆかしい気持ちが発露になっているのかも知れない。ここが“close at HANDS”であったなら、その行為は抱擁や更にその先の男女の営みを想像してしまうに決まっているから。そう言えば、最近(b)の表現を洋楽ナンバーの歌詞でとんと見掛けなくなってしまった。即物的な歌詞が増えたのもその一因だろうが、こうした繊細な恋心を歌った曲が激減している、というのが最大の要因だと考える。
そしてここが最も“怨念”めいていて聴く側=男性を後ずさりさせてしまう箇所。「縛り付ける、拘束する、自由を奪う」という意味のイディオム(c)を用いて、ダスティは「(あなたが私のもとへ戻って来てくれたなら)決してあなたを縛り付けるような真似はしないから」と懇願モードで歌っている。もし筆者が男性なら、「“愛してる”って言わなくていいから」のフレーズよりも、こちらに背筋が凍ってしまうことだろう。それでもダスティの清廉なヴォーカルを以てすれば、「だったら彼女のもとに戻ってやろうか」と思い直す殿方もいるかも知れない。オマケに美人だし(笑)。美人に弱い殿方の中には、女性に“tie up”されるのを望んでいる御仁も多いのでは…?(縄を用いて縛り上げる、なんてことはゆめゆめご想像なさいませんように/苦笑)
筆者がこの曲の主人公に同調できるかと問われれば、答えは即答で“No!”である。それどころか、ことごとくタイプが正反対。特に怨念フレーズの(c)を含む箇所には、どうしても共鳴できない。よって、洋楽ナンバーを一緒に歌う(踊る)のが大好きな筆者でも、さすがにこの曲をダスティとデュエットしたことは一度もないし、これからもないだろう。感情移入が出来ない曲を歌うなんて、つまらないだけだ。