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曲のエピソード
クリーム=イギリスを代表するロック・バンドと呼ぶには、余りに活動期間が短過ぎる!と異論を唱える人は恐らくほとんどいないだろう。彼らに関してほぼ門外漢だった筆者でさえ、その活動期間の短さにも拘らず、強烈な印象を抱いているバンドのひとつだ。その最たる理由は、僅か数年の活動期間だったクリームのLPが拙宅にはやたらとあること(苦笑)。所有者は当然ながら筆者ではない。犯人はダレだ?!(ヨーロッパでヒッピーやってたアノお方/笑)。むしろ筆者は、クリームの活動期間が約2年ということを知って驚いたぐらいだ。世の中には、たった1曲の大ヒットによって後世まで人々の記憶に残る“一発屋”なるアーティストが多く存在するが、クリームはその範疇に収まらないし、本来コンセプト・アルバム主体のバンドであるから、シングル単位のヒット曲が極端に少ない。それは彼らに限ったことではなく、ことプログレッシヴ・ロック(略してプログレ)系のアーティストには、そうした傾向が強いと思われる。レッド・ツェ(ゼ)ッペリンにしても、全米トップ40入りのヒット曲は、最大ヒット曲「Whole Lotta Love(邦題:胸いっぱいの愛を)」(1969/全米No.4/ゴールド・ディスク認定)を含めて計6曲しかない。クリームに至っては、今回採り上げた「White Room(邦題:ホワイト・ルーム)」と、全米チャートで初のトップ10入りを果たした「Sunshine of Your Love(邦題:サンシャイン・ラブ)」(1968/全米No.5/ゴールド・ディスク認定)、そして「Crossroads(邦題:クロスロード)」(1969/全米No.28)の3曲のみ。しかしそのことは、彼らのキャリアのほんの一部にしか過ぎない。改めてクリームの壮大なコンセプト・アルバムを聴いてみると、その思いが強まる。
日本でも“詩人”を生業とする人々が観客を目の前にして“ライヴで”詩を読み上げるパフォーマンスが行われるようになったのは、一体いつ頃のことだったろう? 筆者が遠い昔に初めて目にしたのは谷川俊太郎氏のパフォーマンスだったと記憶しているが(その時、一緒にTVを観ていた亡き祖母が「どうしてこの人は歌を歌わないのか?」と真顔で訊いてきたことが今でも忘れられない/苦笑)、詩を読み上げるパフォーマンスが成立するとは夢にも思っていなかった時代だったため、筆者は度肝を抜かれた。それと同じような活動をしてきたイギリスの詩人ピート・ブラウン(Peter Ronald Brown/1940-)は、クリームの最重要人物(と、家人は事ある毎に主張する)であるジャック・ブルース(Jack Bruce/ベース&ヴォーカル担当)と友だちだったことから、この「White Room」をバンドに提供した。メロディを綴ったのはJ・ブルース。ドラム担当のジンジャー・ベイカー(Ginger Baker)、ギター担当のエリック・クラプトン(Eric Clapton)、このロック界の大物3人を輩出したバンド、というだけでも、ロック愛好家ならずともクリームにひれ伏すだろう。また、本連載第17回で採り上げたクラプトンの信奉者は今なお根強く、筆者の周りには、クリーム時代の彼よりもソロ・アーティストとしての彼に惹かれている人が多い。
じつに、じつに摩訶不思議な歌詞である。一聴しただけでは、とてもその意味合いを汲み取れない。後にこの「白い部屋」の歌詞を詩人が綴ったと知って、ようやくその不可解さに得心がいった。大学時代にEnglish Poetryの授業を選択して熱心に学んだものだったが、それでもテキストに掲載されていた詩の半分ぐらいはその内容を把握しきれなかった。抽象的かつ概念的。直訳すると意味不明。意訳しようと思っても一瞬「ん?」と頭の中が真っWHITEに……。家人も筆者も「白い部屋=白い粉(You know!)」とずっと解釈して聴いてきたのだが、それが深読みか否かは未だに不明である。
曲の要旨
黒いカーテンを閉め切った駅の近くにある俺の(集合住宅の)部屋。暗黒の世界にすっぽり覆われた国、金(きん)で舗装されているはずもない道、朽ち果てた橋脚の水切り。お前の陰鬱な瞳の中では燦々と降り注ぐ月光の中を銀色に輝く何頭もの馬が駆け抜けて行く。暁の光を浴びて去って行くお前の姿を目にすれば、俺はそれで満足。またのお越しを太陽の光が決して射さないこの部屋で待っているよ。ここでは影がひとりでに消えていくんだ。影が自然に消えていく時に、お前とこの白い部屋で横たわる俺。誰も側にいない時は、駅を行き交う孤独な人々と共に(人々の足音を聞きながら)この場所で俺は独り眠りに就くことになるだろう。
1968年の主な出来事
アメリカ: | 大統領選候補者のロバート・ケネディ上院議員が暗殺される。 |
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公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング Jr.牧師が暗殺される。 | |
日本: | 静岡県の旅館で殺人犯の立てこもり事件が発生。世に言う「金嬉老事件」。 |
世界: | 南ヴェトナム民族解放戦線軍がサイゴンに進撃し、アメリカ大使館を占領。 |
1968年の主なヒット曲
Sky Pilot (Part One)/アニマルズ
Say It Loud ― I’m Black And I’m Proud (Part 1)/ジェームス・ブラウン
Suzie Q (Part One)/クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル
Ain’t Nothing Like The Real Thing/マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル
Jumpin’ Jack Flash/ローリング・ズトーンズ
White Roomのキーワード&フレーズ
(a) the white room
(b) 名詞+run(s) from -self
(c) goodbye windows
「意味が解らない、意味が!」――数ある筆者の口癖のひとつであるこれを、気が付けば日に何度も口にしている。自分では無意識なのだが、どういう場面でその口癖が飛び出すかを自分なりに分析してみたところ、歌詞の内容が意味不明の曲を聴いている場合が圧倒的に多いことに気付かされた。例えば今もそう。
♪Now 大音量で playing 〽In the white room…
「意味が解らない、意味がっ!」――失礼致しました。
ある人はこの曲を“絶望の歌”だと言い、ある人は“麻薬をテーマにした歌”だと言う。いずれにしても楽しい歌ではない。どころか、イントロ部分を耳にしただけで不安がよぎるような気さえする。筆者はこの曲のイントロを勝手に“風雲急のお告げイントロ”と名付けた。何やらよからぬことがこれから起こりそうな、ゾッとする(ゾッとしない)予感。そして再び筆者は絶叫する。「意味が解らない、意味がっ!!!」。
(a)に定冠詞“the”が付いている以上、ここに登場する「白い部屋」は実在しなければならない。あるいは、聴く側との相互理解が必要不可欠だ。それなのに、である。タイトルにもなっている(タイトルには定冠詞が付いていないが……)(a)の光景が“全く以て”目に浮かばないのだ。「駅の近くの白い部屋」。「駅」の頭にもまた、定冠詞“the”が付いている。不可解。一体ここの「その駅」とは「どこの駅」……?
思うに「その駅」とは、ある特定の駅を指しているのではなく、(ここから先は身勝手で妄想的な想像であることをお断りしておきます)「麻薬の売買をする場所=その駅/あの駅」なのではないだろうか? もうとっくに鬼籍に入ってしまった某R&B男性シンガーは、ツアーの先々で麻薬の売人とこっそり取り引きをしていたという。しかも、レコーディングやリハーサル、挙げ句の果てにはライヴにも平気で遅刻してくるというのに、オクスリ販売人と会う際には必ず5分前行動だったそうだ(苦笑)。遥か昔、そのシンガーと同じグループにいた某メンバーが教えてくれた。今ふとそんなことを思い出したのは、「駅」は単なる「装置」であって、そこが「空港」、「港」、ひょっとしたら「バス停」でもいいのではないか、と考えたから。つまり、大勢の見知らぬ人々が朝から晩まで行き来する場所なら、それは必ずしも「駅」である必然性はないのではないか、と。しかしながら、こうも考えられる。麻薬の売人が最も人込みに紛れ込み易いのもまた「駅」ではないか。そう思うと、この曲の主人公は列車に乗ってやって来るオクスリ販売人と会うために「駅」の近くに部屋を借りたのでは、と勘繰ってしまいたくなる。
(b)はある種の造語である。直訳すれば「さよなら(する時)の窓」。(b)を含むフレーズには、「駅の入場券」と「絶え間なく走るディーゼル機関車」がセットで登場するが、「入場券」というのが甚だアヤシい。つまりこの場面では、主人公がある人(=麻薬の売人)をホームへの「入場券」をわざわざ買って見送り、その人を乗せた列車の「窓から手を振る相手に向かって手を振」り返しているのである。筆者が大学生の頃、陸路で帰省した際に、亡母は必ず(本当に一度も欠かさず!)入場券を買ってホームまで見送ってくれた。そして今まさに発車せんとする車窓から筆者が手を振ると、母は顔を突っ伏したまま右腕を高く挙げて「手を振」るのではなく「腕を旋回させ」ていた。身体を小刻みに震わせて号泣しながら。(b)を含むフレーズを耳にする度に、シチュエイションの違いはあれども、筆者はどうしてもホームに立つ母の姿を思い出さずにはいられない。そして母と手を振り合った「さよならの窓」は、もう二度と戻ってはこないのだ。
さすがは詩人が綴った歌詞だけあって、一筋縄ではいかない文体だ。何しろ単語の羅列が多く(しかも抽象的過ぎて意味不明なもの多し)、何度も何度も各フレーズを聴き返し+読み返しつつ自分なりに内容を解釈+咀嚼(←押韻)してみて、ようやく耳に馴染む曲である。否、まだそれほど馴染んでいるとは言えないかも知れない。だからなのか、(c)のようなごく普通の言い回しがひょっこり出てくると、ちょっとだけ安心する(苦笑)。(c)の“themselves”は“shadows”に同じ。意味は「ひとりでに逃げて行く、自然に消え失せる」。が、ここも定冠詞“the”が付いている「その影(しかも複数形!)」の正体がどうにもこうにも不明なのである。そこで筆者はまた想像力を暴走させてみた。この「影たち」(注:強調筆者)とは、「白い部屋ならぬ白い粉によって引き起こされる幻覚の数々」なのではないかと……。この解釈、暴走するディーゼル機関車のように飛躍し過ぎだろうか?
筆者は病院と仲良しこよしであるせいか、「白い部屋=白い巨塔の中の四つの白壁に囲まれた処置室」と、すぐさま想像してしまう。そしてそこでは、同じオクスリでも疾病を緩和もしくは治癒するためのオクスリが堂々と供せられるのだった。