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曲のエピソード
本連載第38回で採り上げたダイアナ・ロスの全米No.1ヒット「Ain’t No Mountain High Enough」のオリジナル・ヴァージョン。しかしながら、セリフ仕立てのカヴァーと男女のデュエット仕立てのこちらとはまるで別物に聞こえる。いずれも後に夫婦デュオとして成功したニコラス・アシュフォード(2011年に死去/享年70歳)&ヴァレリー・シンプソンの作/プロデュースによるものだが、いずれ劣らぬ素晴らしい出来映えである。
マーヴィン・ゲイは生前、4人の女性シンガー(メアリー・ウェルズ、キム・ウェストン、タミー・テレル、そしてダイアナ・ロス)とのデュエット・アルバムをリリースしているが、最も人気を博し、かつ長続きしたのがタミーとのそれだった。マーヴィン&タミー名義で最大のヒット曲は「Your Precious Love」(1967/R&BチャートNo.2,全米No.5)だが、両者にとっての記念すべき初ヒットはこの「Ain’t No Mountain High Enough」で、今でも人気が高い曲のひとつ。両者による初のアルバム『UNITED』(1967/R&Bアルバム・チャートNo.7,全米No.69)のオープニングを飾っており、筆者にとってはより印象深い1曲だ。
先述のアシュフォード&シンプソンもまた、自分たちのライヴでこの曲を持ち歌にしており、会場を沸かせていた。恐らく彼ら夫婦にとっても、思い出深い曲だったのだろう。
曲の要旨
どんなに山が高くても、どれほど谷底が深くても、たとえどんなに川幅が広くても、ふたりが会うための障害にはならない。私を必要とする時はどれほど遠くにいようとも私のことを呼んでね。そうしたら、すぐにあなたのもとに駆け付けるから。私が目指すゴールであるあなたのもとにたどり着くためには、どんなに厳しい自然災害もくぐり抜けてみせるわ。君が困難に見舞われてる時には急いでそばに駆け付けるよ。遠く離れていても、ふたりが互いを想う気持ちは薄れない。どんなに高い山も、どれほど深い谷底も、どんなに広い川も、ふたりの妨げにはならないから……。
1967年の主な出来事
アメリカ: | デトロイトを始めとする数都市で大規模な黒人暴動が発生。 |
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日本: | 「オールナイトニッポン」の放送が開始され、ラジオの深夜放送の人気番組に。 |
世界: | Association of Southeast Asian Nations(ASEAN/東南アジア諸国連合)成立。 |
1967年の主なヒット曲
Ruby Tuesday/ローリング・ストーンズ
Love Is Here And Now You’re Gone/シュープリームス
Happy Together/タートルズ
I Was Made To Love Her/スティーヴィー・ワンダー
All You Need Is Love/ビートルズ
Ain’t No Mountain High Enoughのキーワード&フレーズ
(a) make a vow
(b) a helping hand
(c) on the double
去る3月16日はタミー・テレルの命日だった。1970年に脳腫瘍のために死去。24歳という美しくも若い花を散らしてしまったのである。マーヴィンもこの世を去って今年で既に30年。歳月の流れの早さを実感せずにはいられない。筆者がタミーのことを知った時、彼女は既に鬼籍に入っており、ために、マーヴィンとのデュエットであれソロ・ナンバーであれ、彼女の歌声を耳にするたびにどうしてもセンチメンタルな気分になってしまう。ところがこの「Ain’t No Mountain High Enough」は、そんなおセンチな気分を吹き飛ばしてくれるような高揚感にあふれる曲なのだ。落ち込んだ時、あるいは人生に迷った時、どれほどこの曲に救われてきたことだろう。ラヴ・ソングではあるものの、歌詞のそこここに“困難には負けない”というメッセージが潜んでおり、それに励まされてきた。
マーヴィン&タミーは、R&B/ソウル・ミュージック界のみならず、アメリカのミュージック・シーンにおいて最も成功を収めた男女デュオのひとつだと言われている。ヒット曲の多さも然ることながら、阿吽の呼吸とも言えばいいのか、とにかく両者の歌声の混じり具合――実は中には別々にレコーディングされた“疑似デュエット”の曲もあるのだが――が絶妙なのだ。だから余計に、このコンビがわずか3年で終わってしまったことが返す返すも残念でならない。正直に言えば、筆者が初めて聴いたヴァージョンはダイアナ・ロスのセリフ仕立ての方だった。そちらも大好きで今も愛聴しているのだが、男女のデュエットによるこのオリジナル・ヴァージョンでは、互いの“掛け合い”が一番の聴きどころである。歌声が寄り添っていながら、歌詞にあるように、この男女が実は高くそびえる山や眼下に広がる谷底、目の前に流れる大河を挟んであたかも遠く離れているように聞こえるから。この臨場感が高揚感を呼ぶ一因になっていると思う。
この曲を初めて聴いたのは10代後半の時だが、筆者はこの歌詞から様々なイディオムや表現を教わった。特に印象深いものを3つ挙げてみたが、例えば(a)。これはみなさんの多くもご存じの通り「誓いを立てる」という意味のイディオムで、辞書の“vow”の項目に載っている。ところが、当時、手元にあったのはこの曲が収録されている『UNITED』の輸入盤LPだったため、歌詞カードが付いていなかった。そこで必死になって聞き取りを試みて、ようやく“make a vow”の過去形だということに気付いたのだった。
(b)もまた、この曲で初めて知った言葉のひとつ。若い頃は、何故に単数形なのかが不思議でならなかった。例えば、倒れそうな人を抱き起す際には、両手(両腕)を使うのではないか、と。しかしながら、これも必死になって聞き取りをしている最中に疑問が氷解した。辞書に“helping hand”が名詞として載っていたからである。曰く――
◆give [lend] a helping hand (手を貸す)
「どうして複数形じゃないんだろう?」と思案に暮れている最中は、辞書の“help”と“hand”のところを懸命に探していたような記憶があるが、言ってみればこれは決まり文句のひとつだろう。が、大勢の人々が力を合わせて誰かに「手を貸す」際の表現は、当然ながら複数形の“give [lend] helping hands”となる。やはりこれは、対象となる相手がひとり――この曲でいうなら愛する相手――ならではの単数形だと思う。
そして(c)。ここは意外とすんなりと聞き取ることができて、とっさに辞書の“double”の項目を引いたものだ。意味は「駆け足で、大急ぎで、今すぐに、直ちに」などなど。“at the double”でも同じ意味。そして(c)のイディオムを初めて教えてくれたのもまた、この曲だった。それ以前、筆者はこの表現を寡聞にして知らず、また、他の洋楽ナンバーでも耳にした記憶がなかった。では、何故にここでは(c)のイディオムが使われているのか……? それは、その前のフレーズにある“trouble”と押韻するために外ならない。恐らく、その押韻があったからこそ、(c)をすんなりと聞き取ることができたのではないだろうか。
この曲の歌詞を大仰だと捉える向きもあるかも知れない。が、ひとつ告白すると、筆者は今なお引きずっている3・11のトラウマに押しつぶされそうになる時、今でもこの曲を大音量で流す。そして自分を奮い立たせる。そしてあの日を境に、この曲の聴き方が一変した。音楽の力を改めて痛感させられる。