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曲のエピソード
アメリカのミュージック・シーンにド派手な出で立ちで登場したシンディ・ローパーがよもや三十路だったとは、当時、ほとんどの人が気づいていなかった。パッと見た目は年齢不詳。しかも、バンド活動を経て発表したこのソロ・デビュー曲のタイトルが「女の子たちだって、うんと楽しみたいのよ」というものである。昔の邦題は「ハイスクールはダンステリア」。当時のシンディ担当のディレクター氏が、彼女のデビュー・アルバムのジャケット写真からヒントを得てつけたもの。現在はカタカナ起こしの邦題に変わっている。
この曲は、シンディのために書き下ろされたものではない。もともと、フィラデルフィアを拠点として活動していたミュージシャン/ソングライターのロバート・ヘイザード(Robert Hazard/1948-2008)が自身のグループのために作ったもので、彼は1979年に初めてこの曲のデモ・テープを制作。オリジナル・ヴァージョンの歌詞は「男だって、うんと楽しみたい」というものだったという。そちらは未聴だが、シンディのヴァージョンが頭にこびりついているためか、そこの主語が”boys”だとちょっとピンとこない。
プロモーション・ヴィデオ(PV)も強烈な印象だった。シンディの父親役を演じているのはアメリカのプロレスラー、キャプテン・ルー・アルバーノ(Captain Lou Albano/1933-2009)。同PVでの怪演(?)が好評だったためか、シンディの全米No.1ヒット曲「Time After Time」(1984)のPVにも出演した。1984年にアメリカで創設されたヴィデオ音楽賞(Video Music Awards)で、このPVは栄えある第1回最優秀女性ヴィデオ賞に選ばれた。当時のシンディのファッションは、多くのアメリカ人女性に影響を与えたと言われる。
曲の要旨
朝帰りをしたり、夜中に友だちからの誘いの電話がかかってきたりする度に、両親にガミガミ言われてウンザリする女性(年齢設定は20代前半ぐらい)。それでも自由を求める彼女は、口うるさい両親に向かって「女の子だって、思いっ切り楽しみたいのよ!」と啖呵を切る。「女の子だから××しちゃダメ」と言われるのが何よりもガマンできない彼女の不満は、自分の恋人を束縛したがる男性陣にまで及ぶ。「アタシは(たとえ恋人がいても)もっと自由に振る舞いたい」と。「女の子たち、もっと自由になりなさい!」と彼女は世の不特定多数の女性に向かってエールを送るのだった。
1983年の主な出来事
アメリカ: | 女性初の宇宙飛行士を乗せたチャレンジャー号の打ち上げが成功。 |
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日本: | 千葉県浦安市に東京ディズニーランドがオープン。 |
世界: | フィリピンで反体制指導者のベニグノ・アキノが暗殺される。 |
1983年の主なヒット曲
Billie Jean/マイケル・ジャクソン
Let’s Dance/デイヴィッド・ボウイ
Flashdance… What A Feeling/アイリーン・キャラ
Every Breath You Take/ポリス
Islands In The Stream/ケニー・ロジャース&ドリー・パートン
Girls Just Want To Have Funのキーワード&フレーズ
(a) Girls just want to have fun
(b) do with one’s life
(c) hide someone away from the rest of the world
(d) walk in the sun
タイトルにもなっている(a)の“want to ~”は、曲の中では砕けた言い方の“wanna”と発音されている。“going to ~”が“gonna”、“got to ~”が“gotta”とワン・ワードになって砕けた言い方になるのと似ている。もちろん、意味は同じ。但し、“wanna ~”はあくまでも口語であり、文書では“want to ~”としておいた方が無難。
(a)で注目したいのは、“girls”に定冠詞の“the”がついていないこと。それが意味するものは、「この世に存在する全ての女の子たち」。もしもそこに“the”があったなら、それは、特定の“girls”――例えば、ある同じ特徴を持った女の子たちの集団、シンディとリスナーとの間で相互認知されている女の子たちなど――を指すことになる。定冠詞がついていないことで、極端に言えば、ここの“girls”には、見ず知らずの遠い国の女の子たちも含まれる。例えば、次のような例文にすると解りやすいと思う。
(1) I love girls.
(2) I love the girls.
(1)は、「女の子だったら誰でも大好きだ」という意味で、(2)は「(これこれこういう)女の子たちが好きだ」という限定的な意味を持つ。つまり、定冠詞がある(2)には、“girls”に何かしらの条件がつくわけ。アーティスト名は忘れてしまったが、筆者が20年ぐらい前に訳した曲に「I Like Girls」というのがあった。曰く「オレは女が好き/背が高くても低くても/太っていてもやせていても/美人でも、そうじゃなくても/そんなことは構わない」といった歌詞の内容だった。その曲のタイトルを極端に意訳するなら、「女なら誰でもいい」といったところ。“the”のあるなしで、こんなにも意味が違ってしまう、ということをお解りいただけただろうか。
真夜中に遊び仲間から電話がかかってきて、娘をとがめる父親が口にするセリフに登場するのが(b)。“do with ~”は、辞書の“do”のイディオムのひとつとして載っている。「~を扱う、~を処理する」という意味の他、「~で間に合わせる、~でよしとする」といった意味でも用いられる。(b)は、直訳すれば「~の人生を扱う」だが、ここを「お前は自分の人生をどう扱うつもりだ?」と解釈してしまっては、真夜中の誘いの電話につられてフラフラと遊びに出かけようとする娘に対する父親の怒りが、今ひとつ聴く側に伝わらない。ここを、日本の頑固オヤジが夜遊びをする子供に向かって怒りを爆発させている様子を想像しつつ、「お前、そんな生活態度でいいと思ってんのか!」と意訳してみた。どうでしょう、これ? もっとブッ飛んだ意訳なら、「お前をそんな子に育てたつもりはない!」だろうか。あ、これはちょっと発想が飛躍し過ぎましたかね。
自由を求める主人公の女性は、束縛型の男性陣が嫌いらしい。それが判るのが(c)のフレーズ。「美人の彼女を持つ男の子たちは彼女を人目に触れさせないようにする」ことに対して、彼女の不満の矛先が向けられている。ここの“the rest of the world”は端的に言えば「世間」のことで、「彼女を世間の人々の目に触れさせないようにする」という比喩的なフレーズになっている。ここを他の言葉に置き換えると、「恋人である彼女を籠の中の鳥のように束縛している」ということ。あるいは、「彼女を自分の所有物みたいに扱っている」といった解釈でもいいのではないだろうか。いずれにしても、曲の主人公はそういう殿方に憤懣やるかたない思いを抱いているのだ。
「アタシなら、そんな風に束縛されたくない」という思いは、(d)に集約されている。(d)はイディオムとして辞書に載っているわけではないが、筆者がこれまで訳してきた洋楽ナンバーの歌詞で何度か遭遇した言い回し。「太陽の光を浴びて歩く」ことは、すなわち「何物からも身を隠すことなく明るいところを歩く」ことであり、そこから発想を膨らませると、「解放感に浸りながら歩く→自由に生きる」という解釈にたどり着く。「アタシに恋人がいたとしても、相手に束縛されることなく、好き勝手なことをしていたい。自由に振る舞いたい」という強い思いが(d)のフレーズから感じられる。
筆者はこの曲に勝手にキャッチ・コピ―をつけてみた。名付けて「1980年代初期の新型女性解放運動の讃歌」。いかがでしょう?