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曲のエピソード
1970年代、天才の名をほしいままにしたスティーヴィー・ワンダー。彼の音楽的感性が極限まで研ぎ澄まされていた頃の傑作『INNERVISIONS』(1973/R&Bアルバム・チャートNo.1、全米No.4/タイトルはスティーヴィー自身による造語。「内なる視覚」という意味)からのシングル・カット曲で、R&Bチャートでは堂々のNo.1を獲得した。スティーヴィーがこれまで世に送り出した数あるメッセージ・ソングの中でも、際立って辛辣な言葉が綴られていると言っていいだろう。
曲の主人公は、故郷ミシシッピでの貧しい暮らしから脱出するべく、一旗揚げようとニューヨークへ向かう少年。邦題の「汚れた街」は、彼がニューヨークで大気汚染(air pollution)に辟易する、というフレーズから着想を得たもので、現在も日本盤のCDで使われているもの。この曲がヒットした2年後、スティーヴィーが幼少期から憧れていたレイ・チャールズ(Ray Charles/1930-2004)がカヴァーした(R&BチャートNo.22、全米No.91)ことが、スティーヴィーをいたく感激させた、というエピソードが伝わっている。
曲の要旨
働きづめの両親、兄弟姉妹と共にミシシッピ州に暮らす一人の少年。貧困と人種差別が渦巻く故郷での暮らしに耐え切れなくなり、彼は大都会のニューヨークを目指す。が、そこで待っていたのは、息もできないほど汚染された空気、そして街中でうごめく麻薬の売人たちの魔の手だった――。ついに彼もその魔の手に堕ち、麻薬の密売に手を染めてしまう。警察に捕まった彼は、麻薬密輸の罪に問われ、10年の刑をくらう羽目に……。
1973年の主な出来事
アメリカ: | アメリカ軍が南ヴェトナムから完全に撤退。 |
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日本: | 韓国の政治家、金 大中が都内のホテルで拉致される。世に言う「金大中事件」。 |
世界: | 第4次中東戦争に端を発する石油危機。 |
1973年の主なヒット曲
Killing Me Softly With His Song/ロバータ・フラック
Crocodile Rock/エルトン・ジョン
My Love/ポール・マッカートニー&ウィングス
Let’s Get It On/マーヴィン・ゲイ
Angie/ローリング・ストーンズ
Living For The Cityのキーワード&フレーズ
(a) hard time Mississippi
(b) four walls
(c) living for the city
今では全米の50州で施行されている“King Holiday(毎年1月の第3月曜日)”。または“Martin Luther King, Jr. Day”とも呼ぶ。公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師(Martin Luther King, Jr./1929-68)の誕生日を記念した国民の祝日だが、1983年に制定され、1986年に施行された当初、昔から人種差別が根強く残っていた南部の一部の州では、施行が見送られた。そこには、南部の州の中でも最も人種差別が激しいとされたミシシッピ州も含まれている。
スティーヴィーがまだ“Little Stevie Wonder”を名乗っていた10代の頃、たまたまツアー先でキング牧師と遭遇し、「君は盲目なのに頑張っているね」と励まされ、その時以来、キング牧師の信奉者となった。“King Holiday”の実現に向けてスティーヴィーが奔走したのには(1980年代初頭、熱心にその運動に関わっていた)、そうした過去の経験があるからである。アルバム『HOTTER THAN JULY』(1980/R&Bアルバム・チャートNo.1、全米No.3)の収録曲「Happy Birthday」はキング牧師に捧げたナンバーで、“King Holiday”が施行される前までは、必ずコンサートのアンコール曲としてパフォーマンスしていた。
そのキング牧師の有名なスピーチ“I Have A Dream.”には、1960年代の南部でとりわけ人種差別が根深かったことをうかがわせる箇所がある。具体的に州の名前を挙げており、もちろん“Mississippi”も含まれていた。スティーヴィーの頭には、恐らくそのスピーチがあったと思う。ゆえに、(a)のフレーズが生まれたのではないだろうか。ここの“hard time(困難、厄介、迷惑…)”は形容詞的に使われており、(a)を意訳するなら「生活が苦しいミシシッピ」となる。もちろん、その苦しさの中には「(周りから受ける)人種差別」も含まれているだろう。3文字から成る(a)のフレーズだけで、主人公の青年がいかに苦労して育ったかが判る。
生活の苦しさは、狭い住居にも滲み出ている。(b)は、「四方の壁」、つまり、住居がワン・ルームであることを示唆している。「四方の壁に囲まれて……云々」というフレーズは、愛しい人と別れてしまった失恋ソングにも散見される表現で、そうした場合は「独りっきりになってしまった部屋で」という意味で使われることが多いが、この曲の場合は「自分が住んでいる家にはひと部屋しかない」ことを示しているわけだ。その空間で、主人公の少年は、両親、兄(もしくは弟)、姉(もしくは妹)と共に、合計5人家族で肩を寄せ合うようにして生活している。何でもないフレーズのようでいて、実は(b)はこの一家の貧しさを表現しているのだった。英文のセンテンスに“four walls”と出てきたなら、それが“a room”を表すと思ってまず間違いない。
“live for ~”は、「~を糧に生きる、~を生き甲斐として生活する」という意味だが、ここではいささかニュアンスが異なる。根拠は、タイトルにはない“just enough”の部分。“enough”には「充分だ」の他に「もうたくさんだ」という意味もあり、(c)に“just enough”を付け加えて解釈するなら、「こんな街で暮らすのはもういい加減にウンザリだ!」となる。「ここで暮らすのは、もう我慢の限界を超えている!」という解釈もアリ。そこでこの青年は、大志を抱いて大都会ニューヨークへと旅立つのだった。
1970年代のニューヨークは、犯罪率も高く、いわゆるゲットーと呼ばれる貧民街(ハーレム、サウス・ブロンクスなど)では、麻薬も氾濫していた。が、歳月を経て、ニューヨークはこぎれいでこじゃれた街へと変貌する。特に、1994年から2001年までニューヨーク市長を務めたジュリアーニ(R. W. L. Giuliani/1944-)が敢行した街のクリーン・アップ大作戦以降、マンハッタンの性風俗の店は一掃され(その分、行き場を失った街娼が5番街のビルの陰に潜んでいることもあった)、実際、犯罪率も低下した。ニューヨークに代わって全米の犯罪発生率の上位にランクされたのは、アトランタ、デトロイト、ワシントンD.C.などである。仮にこの曲が1990年代半ば頃に作られたとしたら、スティーヴィーは主人公の青年をニューヨークへ赴かせただろうか? 最近、この曲を聴く度に、漠然とそのことを考えてしまうのである。