人名用漢字の新字旧字

第139回 「侠」と「俠」

筆者:
2017年8月24日

新字の「侠」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「俠」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。「俠」は出生届に書いてOKですが、「侠」はダメ。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の人部には、旧字の「俠」が収録されていましたが、新字の「侠」は収録されていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「俠」だけが含まれていて、新字の「侠」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、旧字の「俠」を削除してしまいました。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「侠」も「俠」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「侠」も「俠」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

半世紀後の平成12年12月8日、国語審議会は表外漢字字体表を答申しました。表外漢字字体表は、常用漢字(および当時の人名用漢字)以外の漢字に対して、印刷に用いる字体のよりどころを示したもので、1022字の印刷標準字体が収録されていました。この中に、旧字の「俠」が含まれていました。印刷物には、新字の「侠」ではなく、旧字の「俠」を用いるべきだ、と、国語審議会は文部大臣に答申したのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「侠」は、全国50法務局のうち12の管区で出生届を拒否されていて、JIS第1水準漢字で、出現頻度数調査の結果が0回でした。旧字の「俠」は、全国50法務局のうち2つの管区で出生届を拒否されていて、JIS第3水準漢字で、出現頻度数調査の結果が159回でした。

追加候補選定基準 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1・2水準
8~10 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1水準
6~7 JIS第1~3水準 JIS第1水準 JIS第1水準
0~5 JIS第1・3水準 - -

追加候補選定基準を厳密に適用すれば、新字の「侠」も、旧字の「俠」も、人名用漢字の追加候補とはならないはずです。しかし、人名用漢字部会は、新字の「侠」の出現頻度を無視し、「侠」を含む578字を人名用漢字の追加案として発表しました(平成16年6月11日)。ところが、人名用漢字部会は7月23日の会議で、この方針をさらに変更します。議事録を見てみましょう。

任侠の「侠」ですが,候補の例示字体が表外漢字字体表には掲げられてはおりません。ただし,異体字の手書きで書いておりますが,「俠」の方がJIS第3水準の漢字ですが,表外漢字字体表の印刷標準字体でございます。印刷標準字体の方は出現順位が3145位でございます。他方,今回パブコメに掲げた「侠」の字体は順位がついておりません。ということであれば,字体選択のよりどころを示した表外漢字字体表の趣旨を尊重するということからすれば,印刷標準字体の手書きの方を採用するのがいいのではないかと考えております。

人名用漢字部会は、新字の「侠」を追加候補から外し、代わりに、旧字の「俠」を追加候補に加えました。平成16年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申し、9月27日の戸籍法施行規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、旧字の「俠」は人名用漢字になり、子供の名づけに使えるようになったのです。しかし、新字の「侠」は、人名用漢字になれませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「俠」に加えて、新字の「侠」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「俠」はOKですが、新字の「侠」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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