(第4回からつづく)
国語審議会と人名用漢字
しかしなぜ、常用漢字表は固有名詞を対象としないのでしょう。それを理解するためには、文化審議会国語分科会の前身である国語審議会の歴史を、遡って紐解く必要があります。
人名用漢字は、もともとは国語審議会のナワバリでした。昭和26年5月25日に内閣告示された人名用漢字別表92字も、国語審議会の建議にもとづくものでした。しかし、昭和47年4月5日に開催された衆議院法務委員会において、ナワバリの一角が微妙に崩れはじめました。質問に立った理事の中谷鉄也が、文化庁文化部と法務省民事局に対して、人名用漢字を拡大すべく国語審議会で審議を始めろ、と詰め寄ったのです。これに対し法務省民事局は、国語審議会との調整が必要だが、人名用漢字拡大の要望は多い、と答えました。一方、文化庁文化部は、まもなく開始される当用漢字の見直しの審議において、人名用漢字も見直されることになるだろう、と答えました。
ところが国語審議会は、当用漢字の見直しは始めたものの、人名用漢字に関しては一向に手をつけようとしませんでした。その間にも、昭和48年11月30日に東京家庭裁判所が、「悠」を子供の名づけに認める審判を下します。この時点では、当用漢字にも人名用漢字にも「悠」は含まれていなかったのですが、戸籍法第50条にいう常用平易な文字には「悠」が含まれる、というのが東京家裁の判断でした。法務省は、「悠」を人名用漢字に追加する必要に迫られたのです。しかし、それでも国語審議会は動きませんでした。
業を煮やした法務省は、昭和49年3月13日の民事行政審議会で、戸籍制度における改善事項として人名用漢字の拡大を取り上げ、その審議を開始します。ところが民事行政審議会の答申(昭和50年2月28日)は、人名用漢字については国語審議会における今後の結論を待って対処する、という消極的なものでした。そこで法務省民事局は、昭和50年7月、全国の市区町村に対して、人名用漢字に追加すべき漢字を調査しました。さらに、法務大臣の私的諮問機関として人名用漢字問題懇談会を発足させ、昭和51年5月25日、人名用漢字の追加候補28字を選定しました。この28字には、「悠」や「瑠」が含まれていました。
人名用漢字問題懇談会の追加候補28字に対し、国語審議会は昭和51年7月2日の総会で、国語審議会としての態度をどうすべきか議論しました。しかし、国語審議会の態度は煮え切らないものでした。追加案28字に対して、国語審議会として特に反対はしないが、さりとて積極的に決議をおこなったりするわけでもない、という態度を取ったのです。そこで法務省は、法務大臣と文部大臣の共同請議という形で、7月27日の定例閣議に追加案28字を持ち込みました。そして昭和51年7月30日、この28字は、人名用漢字追加表として内閣告示されました。人名用漢字別表を変更することなく、全く別の表として人名用漢字追加表28字は告示されたのです。
(最終回「常用漢字表と固有名詞」につづく)