人名用漢字の新字旧字

第11回「叙」と「敍」と「敘」

筆者:
2008年5月22日

旧字の「敍」は人名用漢字なので、子供の名づけに使うことができます。新字の「叙」は常用漢字なので、やはり子供の名づけに使えます。それでは「敘」は、どうでしょう。子供の名づけに使えるのでしょうか。実は、この「叙」と「敍」と「敘」の間には、結構、微妙な歴史があったりするのです。

昭和21年11月5日、国語審議会は文部大臣に当用漢字表を答申しました。この時点の当用漢字表は、手書きのガリ版刷りでしたが、ぼくづくりは全て「攵」の形になっており、「敘」が収録されていました。ところが、翌週11月16日に内閣告示された当用漢字表では、「敘」ではなく「敍」が、官報に印刷されていたのです。他のぼくづくりは「攵」となっており、「敍」だけが「攴」でした。当用漢字表の「敘」は、印刷ミスで「敍」になってしまっていたのです。 12月12日には内閣官房から各省庁に宛てて、 音訓びき(五十音順)当用漢字表というリーフレットが配られましたが、そこでも「敘」ではなく「敍」と印刷されていました。

昭和22年6月9日、当用漢字表の正誤表が官報に掲載されました。この正誤表で、「敍」の印刷ミスも「敘」に訂正されました。しかし、7ヶ月も後に載った正誤表の存在など、ほとんど誰も知らないままに、当用漢字表は使われ始めていたのです。昭和22年10月15日に発行された法令全書(昭和21年11月号)でも、「敍」が当用漢字として掲載されており、ちゃんと「敘」に訂正されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字は、当用漢字表1850字に制限されたのです。

この時点の当用漢字表は、正誤表で訂正されていたので、「敍」ではなく「敘」が収録されていると理解すべきでした。しかし現実には、正誤表の存在はほとんど知られておらず、印刷ミスの「敍」の方が当用漢字として扱われました。つまり、子供の名づけに使えるのは、「敘」ではなく「敍」だと思われていたのです。昭和24年4月28日、 当用漢字字体表が内閣告示され、新字の「叙」が当用漢字になりました。法務府民事局は、当用漢字表に加えて当用漢字字体表も子供の名づけに使ってよい、と回答しましたが、新字の「叙」がOKなのは間違いないとしても、「敍」と「敘」に関する誤解はそのまま放置しました。

国語審議会が、「叙」と「敍」と「敘」に関して新たな見解を示したのは、昭和52年1月21日に発表した新漢字表試案においてでした。新漢字表試案には、「叙」の康熙字典体として、「敍」がカッコ書きで添えられていました。つまり、「叙(敍)」となっていたのです。昭和56年3月23日に答申した常用漢字表においても、国語審議会はこの見解を貫き、やはり「叙(敍)」としていました。これを受けて民事行政審議会は、「叙」と「敍」を子供の名づけに認め、「敘」を認めない旨、法務大臣に答申しました(昭和56年5月14日)。昭和56年10月1日、常用漢字表が内閣告示されると同時に、戸籍法施行規則が改正され、新字の「叙」は常用漢字に、旧字の「敍」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、「叙」と「敍」は出生届に書いてOKですが、「敘」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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