社会言語学者の雑記帳

3-2 社会言語学者になるまで(2)

2009年4月10日

ある日のこと、午前中のフィールドワークから帰ってきた私は、現地の習慣に従ってホテルですやすやと昼寝をしておりました。と、目が覚めて見ると、天井に何か巨大なものが。それは、

ク モ

キャ━━━━(゜∀゜)━━━━!!。私はクモが大嫌いで、こうして文字で書いていても見るのが嫌なほどです。電車の車体に「クモハ」などと書いてあると目をそらしますし、映画「スパイダーマン」などはまったくあり得ないオハナシだとしか思えません。それが、巨大なクモが、寝ている自分の真上の天井に張り付いている……! それから数分間の記憶が完全に欠落しているのですが、気がつくとホテルのフロントで大声で叫んでいました。それから不審な顔をしたフロントのおニイちゃんが面倒くさそうに私の部屋でクモを探しているシーンが断片的に浮かぶのですが、それ以外の記憶はかなり不確かです。

しかし、私はこの時悟りました。しょせん自分には、自然が一杯の沖縄のフィールドワークは無理である。修士論文は乗りかかった舟であるからやり遂げるとして、これが終わったらフィールドを変えよう。そうだ、やっぱり生まれ故郷の東京にしよう。

こうした深刻な動機により、私は翌年修論をまとめたネタで生まれて初めての学会発表を鹿児島で終えると、きっぱりと沖縄方言から足を洗いました。考えてみれば、たいして組織的に勉強したわけでもないのに、よくもいきなり沖縄方言を取り上げたものです。知らないと言うことは、本当に恐ろしいことです。学会発表の際には、沖縄語の専門家からいくつも鋭い質問が飛び、背筋に冷たい汗を感じたものです。同時に、こうした動機で研究分野を変更した人間も珍しいかも知れません。たいてい研究者が専門のフィールドを変えるには、それこそ「魂を揺さぶるような書物との巡り会い」とか「○○教授との運命的な論戦」、果ては「××学における自らの役割に限界を感じ」といった感動的な動機やエピソードがあるのが通例というもの。私のようにクモが嫌で、という軟弱なお方には、とんと出会ったこともないのであり、こういうところでも言語学者としての資質が問われてしまいそうです┐(´д`)┌。

修論を終えた私は、すでに「博士後期課程在学」の身となりました。そして社会言語学、それも言語変異と変化の理論を勉強したいという気持ちが修士論文を経てますます強くなった私は、すでに留学を視野に入れていました。しかし留学準備は2年はかかるもの。さて、この2年間をどうしようか。

まず早稲田のアメリカ人の先生の授業に出席しました。一種の他流試合です。修士の頃からほかの大学の授業に出させてもらっていたのですが、やはり自分の大学より外の世界を知ってしまうと、ああ、このままではダメだと焦ります。この先生の授業は形態論がテーマで、自分としては知識の穴であったこともあって学部の授業でありながら非常にまじめに勉強し、ついに先生は私の大事な恩師となりました。

この経験から「自分の大学の外の世界」を知ることの重要性に気付いた私は、さらに暴走してアメリカ言語学会の夏期講習会にもノコノコ出かけてしまいました。カリフォルニアの陽光がさんさんと降り注ぐスタンフォード大での開催でしたが、この夏期講習会でまたしても「っがーん」という衝撃を受けました。なんということでしょう。ここでは社会言語学者も生成文法学者も真剣に互いの話を聞いて建設的な議論をしているし、コンピュータも図書館も使い放題。授業はむかーしの教科書を細かーく読んで訳をする(!)のではなく、先生の説明を聞いたらみーんなバシバシ言いたい放題質問をしている。中には相当アホな質問もあるが、だーれもまったく気にしない。( ・∀・)イイ!!これは(・∀・)イイ!! こういう環境で一度社会言語学を研究してみたい。これで一気に留学意欲に火がついたのです。

この時期、さらにもう一つ、国立国語研究所の調査に参加しました。最初は当時参加していた授業の先生のお誘いでしたが、北海道の富良野市での共通語化調査でした。打ち合わせのために生まれて初めて国語研究所に行った時には、「きっと日本語の知識も試されるんだろうなぁ」などとあらぬ妄想が走り、日本語文法に今ひとつ自信のなかった私は、前日にコッソーリ『国語学概説』などを斜め読みしたものです(笑)

院生仲間と参加した富良野調査は、自転車で富良野市を駆け巡っては、住所からインフォーマントを探しだし、調査をするという、まさにフィールドワークの最たるもの。一度、夜遅くに調査があり、原野のようなところで来るはずの迎えの車を待っていた時に見た真の闇も忘れがたいですが(^_^;)、それ以上に調査をやり終えた時の達成感も忘れられません。富良野調査でがんばったご褒美だったのか、国語研ではその後『方言文法全国地図』の調査にも参加させて頂きました。

そしてそして! 出願書類だ推薦書だTOEFLだGREだ奨学金だと幾多の関門を抜けて、やっと卒論以来ずーっと憧れていたペンシルバニア大学に留学できることになりました\(^-^)/。目指していたのは、もちろんLabov教授。普通アメリカの大学に留学を考える時には、複数の大学に出願するものなのですが、私はペン(と現地では呼ばれていました)一本でした。ペンに入れなかったら、留学する意味もない、とまで考えていたのです。今考えると、これはかなり極端な考え方で、もっと広い視野で考えていても良かったのではないかとも思うのですが、そこは若気の至り。私の目にはペンしか見えていなかったのです。

さて、こうして渡った彼の地でのオハナシはまた次回に……。

筆者プロフィール

松田 謙次郎 ( まつだ・けんじろう)

神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

編集部から

「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。