人名用漢字の新字旧字

第60回 「畄」と「留」と「畱」

筆者:
2010年4月8日

昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表では、「留」の直後にカッコ書きで「畄」が示されていました。つまり「留(畄)」となっていたわけです。簡易字体の「畄」は、カッコ書きにはなっているものの、一般に使用して差し支えない、ということでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、「留」が収録されていました。これに対し、文部省教科書局国語課は8月2日、常用漢字に関する主査委員会において、簡易字体の「畄」を収録するよう提案しました。しかし、主査委員会は8月27日の会議でこれを否決し、「留」のままでいくことを決定しました。旧字の「畱」と比べると、「畄」はあまりにも簡単すぎたのです。この結果、昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表1850字には、「留」が収録されていて、「畄」や「畱」はどこにもありませんでした。旧字の「畱」はカッコ書きにすらなっていなかったのです。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。「留」は出生届に書いてOKとなったのですが、「畄」や「畱」は出生届に書けなくなってしまったのです。

昭和38年10月11日、国語審議会はこれまでの国語政策についてを報告しました。この報告の中で国語審議会は、当用漢字字体表のさらなる改善に触れていました。「留」の代わりに、簡易字体の「畄」を採用した方が、むしろ漢字を広く生かすことができる、と言うのです。しかしこの問題は、委員の中にも賛否両論があって、なかなか審議が進みませんでした。昭和52年1月21日、国語審議会は新漢字表試案を発表しますが、そこでも「畄」は採用されず「留」のままでした。また、旧字の「畱」もカッコ書きには入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表が内閣告示されましたが、そこでも「留」はそのままで、「畄」や「畱」はどこにもありませんでした。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針のもと、人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。しかし、「畱」はJIS X 0213の第4水準漢字だったので、そもそも審議の対象になりませんでした。一方「畄」は、第2水準漢字だったものの、出現頻度数調査の結果がたったの1回だったため、追加対象になりませんでした。

この結果、平成16年9月27日の戸籍法施行規則改正でも、「畄」も「畱」も人名用漢字になれませんでした。それが現在も続いていて、「留」は出生届に書いてOKですが、「畄」や「畱」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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