明解PISA大事典

第39回 PISA型読解力への疑義あるいは異論1 PISA型読解力のような力は必要か

筆者:
2010年6月11日

最近、二人の作家と「PISA型読解力」について話す機会があった。一人は猪瀬直樹さん、もう一人は石田衣良さんである。話の内容については週刊東洋経済の連載(1)でも少しふれたが、ここでは別の観点から論じることにする。

今回は猪瀬さんとの話から。ここでの猪瀬さんは作家というよりは、東京都副知事という立場である。石原慎太郎という作家が知事、猪瀬直樹という作家が副知事を務める東京都においては、昨今の活字離れの風潮をなんとかし、それによる言語力の低下をなんとかしようということになった。「活字離れ」と「言語力(読解力)の低下」が単純に結びつくかどうかは難しいところであるが、PISAの読解力調査(2000年のもの)を含む、さまざまな調査において何らかの相関関係がありそうなデータが示されてはいる(2)。とにかくなんとかしようということで、まずは都庁職員から意識改革をしようということになり、その第一回勉強会(4月16日)に私が講師として招かれ、また、猪瀬さんとテレビで対談するなどしたのである(3)

このような経緯があるため、猪瀬さんとの話は、基本的には「PISA型読解力のような力は必要だ」という雰囲気の中で進んだ。ただ、猪瀬さんに「作家としての立場から」というふうに水を向けたとき、やや含みのある答えが返ってきたのである。

たとえば「AはBだ」ということを言いたいとき、いわゆる「ぴざ的」な発想からすれば、AとBを線でジリジリと結びつけていくような、言葉を尽くして、論理を組み上げて、誰でも理解できるように納得できるように表現することが求められる。猪瀬さんも、確かにそういう力は必要だ、という。だからこそ、「AはBだ」ということを言うだけのために、一冊の本を書くことになってしまうこともあるというのだ。

ただ――と、猪瀬さんは話の流れを一時押しとどめ、俳句や短歌のように一瞬の言葉の閃きで、すべてを表現する場合もある、と釘を刺した。

「AはBだ」ということを言いたいとき、AとBとを線でジリジリと結びつけていくのではなく、AとBの間にある点、あるいはぜんぜん関係ない(ように見える)ところの点を示唆することにより、聞き手あるいは読み手の頭の中でAとBとを一瞬で結び付けさせてしまうという、考えようによっては、たいへんな荒ワザである。だが、文学にはそういう面もあるということだ。

PISA読解力調査のテキストには、説明文や意見文(これは滅多にないが)はもちろんのこと、物語文であっても、「AだからB、BだからC、CだからD」というように、ジリジリと線をつないでいくような論理性が求められる。もちろん、特に物語文の場合は、この流れは必ずしも明示的なものでなくてもよく、暗示されているだけの部分があっても構わない。いずれにしても、この論理性があるからこそ、「A・B・Cの情報から、何が成り立つか?」(原因から結果の推論)や「Dを成り立たせるには、どのような情報が必要か?」(結果から原因の推論)という問いに、「文章にふれながら」答えさせることが可能になり、かつ自由記述であっても、わりと機械的かつ客観的に評価することが可能になるのである(4)。このようなPISA読解力調査で求められるような力も必要であるが、それ以外の力――一瞬の言葉の閃きを感得するような力も必要であるというのだ。

坂口安吾は「FARCEについて」において、五十嵐力の著書からの引用として「古池や蛙飛び込む水の音 さびしくもあるか秋の夕暮れ」という短歌をあげている(5)。芭蕉の有名な句に下の句をつけた格好だ。気分と季節と時間帯が加わっているのである。これを見てびっくりしたのは、まず「さびしい」という気分。次は「秋」という季節。そして「夕暮れ」という時間帯。この解釈が正統的なものかどうかは知らないが、少なくとも私は芭蕉の句からぜんぜん違う光景を想像していた。それはともかく、坂口安吾は、この短歌が、言葉を費やしてまんべんなく説明しようとしたために、「結局芭蕉の名句を殺し、愚かな無意味なもの」にしてしまっていると批判している。一瞬の言葉の閃きに、点と点を結ぶ線は無用のようだ。だが、この芭蕉の句が欧米の言語に翻訳されると、「静かな池に、蛙(複数)が飛び込んだので、ボチャンと音がして静けさが破られたが、しばらくしてまた静けさが戻った」というように、言葉をまんべんなく費やして奇妙に論理的なものになってしまう。そうでなければ欧米人は理解できないのだという。まあ、このように翻訳されれば、芭蕉の名句もPISA読解力調査のテキストにも使えそうだが。

猪瀬さんは、それ以外の力の必要性にふれながらも、「ぴざ的な力」の必要性も認めてくれた。ところが、石田衣良さんには真正面から否定されてしまう。これについては次回。

* * *

(1) 週刊東洋経済「わかりあえない時代の『対話力』入門」第52回(2010年5月29日号)と第55回(2010年6月19日)

(2) たとえば「生きるための知識と技能―OECD生徒の学習到達度調査PISA2000年調査国際調査結果報告書」国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2002年など

(3) 東京MXテレビ「東京からはじめよう」(2010年5月1日放映)

(4) PISAの問いについては、第7回第8回を参照。

(5)『堕落論』p.17/坂口安吾/新潮文庫

筆者プロフィール

北川 達夫 ( きたがわ・たつお)

教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

編集部から

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