「百学連環」を読む

第4回 総論の構成 その2──「学術の方略」

筆者:
2011年4月29日

私たちは「百学連環」の「総論」の詳しい目次を眺めているところでした。前回は「学術技芸(学術)」までを見てみたので、続きを覗いておきましょう。まずは「学術の方略 Means」です。

「学術の方略 Means」を当世風に訳せば「学術の手段」とでもなるでしょうか。つまり、学術を行うにあたって、どのような手段(means)があるかということを論じていることが予想されます。そのつもりで小見出しを見てみましょう。

この項目の下にはさらに次のような小見出しがあります。

 器械 Mechanical instrument
 設置物 Institution
 実験 Observation
 試験 Experience
 Empiric

以上の五つの項目です。見たところ、ここに並べられているのは、なるほど「手段」と言えそうなもののようです。

Mechanical instrumentは「機械装置」と言ってもよいでしょう。学術の中には科学技術方面のように、さまざまな装置を使う分野があります。昨今では、自然科学以外の領域でも、コンピュータは欠かせない機械装置の一つでしょう。

それから、「設置物」と訳されているInstitutionは、おそらく研究所やそうした施設のことだと思われます。これもまた学術活動には必要とされることが多いものです。

次の三つの項目は、一見すると分かりづらいところ。「実験」と訳されているObservationは、いまなら「観察」と言いたくなるところでしょうか。ただし、「観察」という語は、前回検分したTheoryに当てられていました。

また、Experienceは、辞書的に言えば「経験」や「体験」と訳される語ですね。これを西先生は「試験」としています。「試験」とはたぶんいまで言うところの「実験」を含意しているのではないかと思いますが、その場合、Experimentという英語が連想されます。

ここで疑問が浮かぶのは、はてさて、ObservagtionとExperienceとはどう違っていて、お互いにはどういう関係があるのか/ないのか、ということです。これは目次だけからはなかなか見えてきません。

次に登場するEmpiricは、訳語も充てれないまま置かれていますが、これは現在では英語で「経験主義者」などと訳される語です。ギリシア語に由来する語で、古代ギリシア・ローマの医師で哲学者のセクストゥス・エンペイリコス(経験主義者セクストゥス)の名前も思い出されます。経験もまた、学術を遂行する上で欠かせない手段だという意味でしょうか。

目下はまだ目次を眺めているところなので、本論の内容を先取りせずに、素直に目次から感じられることや、連想することを疑問として述べています。読者のみなさんも、これまで脳裏に蓄積してきた経験や知識に照らすと、様々な記憶が甦ると思いますので、いまのところは、そうしたことを念頭に置きながら読んでいただければと思います。

ここまでのところ西周が「百学連環」講義を進めるにあたって、意義、学域、学術技芸というテーマ、その手段について順に述べようとしていることが分かりました。あと2回で目次の残りを見終えることにしましょう。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。