「百学連環」を読む

第17回 文献学のエンチクロペディー

筆者:
2011年7月29日

エンサイクロペディア/エンチクロペディーという名前を冠した講義について調べているうちに、18世紀後半から19世紀のドイツの大学で、実際にそうした講義が行われていたという手がかりを得たのでした。

なるほど、そのつもりで文献やネット上のアーカイヴを検索してみると、たしかにいろいろな領域で「エンチクロペディー」なる講義が開催されていた痕跡が見えてきます。そうした文献から分かることを総覧・整理できるとよいのですが、量も量なので、これは別の機会に譲りたいと思います。ここでは「百学連環」を読むことに資する「エンチクロペディー」講義をご紹介してみましょう。

まず一つめは文献学(Philologie)です。この学術もまた、もっぱら18世紀から19世紀のドイツにおいて鍛え上げられた領域の一つで、日本でもよく知られている人物で言えば、ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)なども、古典文献学の研究から出発した人でした。

文献学とは、ある文化に関する文献を通じて、そうした文献に書かれた先人たちの世界の見方、世界の認識の仕方を広く研究する学術です。なにしろ「文献」が対象ですから、その内容は、哲学や文学はもちろんのこと、神話、宗教、美術、あるいは現代でいう科学なども含む幅広いもので、総合的に文化を捉えようとする領域なのです。

この学術領域を大成させた学者にフリードリヒ・アウグスト・ヴォルフ(Friedrich August Wolf, 1759-1824)とアウグスト・ベーク(August Böckh, 1785-1867)がいます。ヴォルフは、ベークの先生でもあります。

ヴォルフは、ハレ大学とベルリン大学でその名も「古代研究に関するエンチクロペディーならびに方法論(Encyklopädie und Methodologie der Studien des Alterthums)」という講義を行って、それに基づいた書物『古代学の叙述――その概念・範囲・目的・価値(Darstellung der Alterthums-Wissenschaft nach Begriff, Umfang, Zweck und Werth)』(1807)〔ただし左記リンク先は、同書を含む別タイトルの書物〕を刊行しています。同書で、ヴォルフは、彼が考える「古代学」を構成する24もの学術を解説し、まさに「古代学」という学術の全体像を示すのです(前掲書75-76ページに一覧あり)。ヴォルフの場合、ホメロスなどの古典古代が専門ということもあって、文献を通じた古代学という形をとっています。

もう一人のベークもまた、ハイデルベルク大学やベルリン大学で行った講義に基づく書物『文献学的諸学問のエンチクロペディーならびに方法論(Encyklopädie und Methodologie der philologischen Wissenschaften)』が没後、弟子の手によって編集・刊行されています。ありがたいことに、同書の一部は、安酸敏眞氏によって翻訳・注解が施されています(以下では、その訳文をお借りしています)。また、安酸氏による「アウグスト・ベークと文献学」は、ベークの生涯や仕事とその意義を説いたもので、大変参考になります。付録として、ベークの講義目録もついています。

特にベークの講義は、「序論」でまず「文献学の理念、またはその概念、範囲、最高目的」を論じた後で、「とくに文献学に関連してのエンチクロペディー概念」「文献学的な学問のエンチクロペディーについての従来の試み」「エンチクロペディーと方法論の関係」と論じる念の入りようで、「さすがは文献学!」と喝采したくなる内容です。

今回、他の領域の「エンチクロペディー」もいくつか覗いてみました。どの講義でも、冒頭近くで「エンチクロペディー」という言葉(ドイツ語)の来歴がラテン語を経由した古典ギリシア語であるといったことは書いてあります。しかし、ベークによる解説は、ひと味違います。アリストテレスやイソクラテスといった人びとによる古典ギリシア語での具体的な用例や、クインティリアヌスやウィトルーウィウスらによるラテン語への翻訳などを検討しながら、エンキュクリオス・パイデイアの持ついくつかの原義を確認したうえで、こうまとめています。

すべてのことにおいて何かを知っていない人は、何事においても何かを知ることはできない、と古典古代の人々は考えた。彼らのエンキュクリオス・パイデイア(Εγκυκλιος παιδεια)はそこに由来する。

「文献学的諸学問のエンチクロペディーならびに方法論」、安酸敏眞訳、
「北海学園大学人文論集」第41号、p.58
; 原書、p.36

 

全体を知らずしてその部分をよく知ることは叶わない、そんなふうに言い換えてもよいでしょう。これはまさしくベークが行おうとしている講義としての「エンチクロペディー」の目指すところでもありました。つまり、文献学なら文献学という学術には、いろいろな「特殊的な部分」(speciellen Theilen=専門的・個別的な部分)があるけれども、文献学のエンチクロペディーでは、文献学について「一般的な叙述」(allgemeine Darstellung=全般的な描写)をなす、というわけです。

実際、ベークの文献学には、「年代学、地理、政治史、国家論、度量衡学、農業、商業、家政、宗教、美術、音楽、建築、神話、哲学、文学、自然科学、精神科学、言語」といった諸学術が網羅されており、これらが一種の体系として関連づけられています(安酸敏眞「アウグスト・ベークと文献学」、「北海学園大学人文論集」第37号、p.151。また、同論文の付録2「アウグスト・ベークの文献学の体系」も参照)。安酸氏の言葉をお借りすれば、誠に「壮観なる文化科学の体系」であり、この文献学自体が一個の「百学連環(エンサイクロペディア)」というべき広がりを持っています。西先生の「百学連環」目次に並ぶ「百学」の数々と並べてみても、相当部分が重なり合っていることも分かります(そうした比較はこの連載の終わりのほうでしてみるつもりです)。

従来の書物に加えてディジタル環境の下で、縦横に文献を検索・味読できる現代においてこそ、こうした文献学の叡智は再活用されるべきものではないかと思いますが、それはさておき、数ある「エンチクロペディー」の中から特に文献学のエンチクロペディーを選んでご紹介した所以です。

次にもう一つ、ヘーゲルの「エンチクロペディー」について述べようと思ったのですが、長くなりましたので次回にしたいと思います。

 

*今回の原稿を書くにあたっては、上記の他、斉藤渉「新人文主義――完結不能なプロジェクト」、曽田長人「ドイツ新人文主義の近代性と反近代性――F・A・ヴォルフの古典研究を手がかりに」の二つの論文から多くのことを教えていただきました。記して感謝いたします。これらの論文は共に『思想』第1023号「ドイツ人文主義の諸相――近代的学知の淵源を探って」特集(岩波書店、2009)に収録されています。特集全体も充実した素晴らしい号でした。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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