「百学連環」を読む

第24回 中国の学術分類

筆者:
2011年9月16日

前回は学域に関する説明を読みました。学域に関する文章は、一応前回見たもので終わりなのですが、その後ろにポイントを落とした活字で次の一文が添えられています。こんなふうに書かれています。

に於ても其學域と云ふ更に區別あることなし、最迂闊の事ならんか。

(「百學連環」第1段落第13文)

中国においても学域という区別はないが、これはたいへんに迂闊なことではなかろうか。

ここで西先生が、どこまでのことを念頭に置いてこう述べたかは分かりません。ただ、たしかに近代西洋の学術と比べてみると、それを受容する以前の中国伝来の学術分類は、当然のことながら随分様子が違っています。そこで、中国の学術分類について少し覗いてみましょう。「目録学」が私たちの知りたいことを教えてくれます。

目録学とは、古来の書物を分類して、目録をつくることに関する学術です。ネット上のデータベースを気軽に検索して、そのつどリストを生成することが当たり前の昨今、目録といえば、なんとなくありがたみを感じにくいかもしれません。

しかし、少し立ち止まって考えてみれば分かりますが、これはなかなかどうして凄まじい学術です。なにしろ既に失われて書名や概要しか伝わらないものも含め、厖大な書物を分類するということ自体、途方もない仕事です。なぜなら、適切に分類ができるということは、個々の書物について知っていることはもちろんのこと、そうした個々の書物同士の相互関係も見渡せなければならないからです。つまり、書物についての知識が、外部記憶装置ではなく、自分の記憶(脳裏)になければとてもこなせない仕事でありましょう。

加えて言えば、どのような学術であれ、その成果である知識を表現し、流通させるには、言葉や図を使って書物やそれに類するかたちにするほかはありません(術については、例えば絵画のように、作品制作の場合もあるので、この限りではないのですが)。つまり、多くの学術の成果は最終的に書物という形を取っていたわけです。目録学とは、そうした個々の書物が全体のなかに占める位置を定め、分類するわけですから、一種の学術百科全書(エンサイクロペディア)を作成する試みでもあるのです。

例えば、『七略』(漢)、『隋書』経籍志(唐)、『四庫全書総目』(清)といった目録が時代ごとに編まれており、これを見ると中国における学術の分類の仕方を垣間見ることができます。ここでは、目下「百学連環」で注目している西洋の学術分類との違いを意識することが目的ですので、ごく簡単に一例を覗いておきましょう。清代に編纂された「四庫全書」の総目はこんなふうになっています。

経部
 易類/書類/詩類/礼類/春秋類/孝経類/五経総義類/四書類/楽類/小学類

史部
 正史類/編年類/紀事本末類/別史類/雑史類/詔令奏議類/伝記類/史鈔類/載記類/時令類/地理類/職官類/政書類/目録類/史評類

子部
 儒家類/兵家類/法家類/農家類/医学類/天文算法類/術数類/芸術類/類書類/小説家類/釈家類/道家類

集部
 楚辞類/別集類/総集類/詩文評類/詞曲類/小説類

書物全体を四つに大分し、さらに各部の下に類が設けられています。「経部」にはいわゆる経書に関するものが、「史部」には歴史、「子部」には技術やその他さまざまなものが、「集部」には文学といったように、私たちが馴染んでいる西洋流の学術分類とはかなり異なっていることがお分かりになると思います。

詳細は省きますが、部の下に置かれたそれぞれの類を一つひとつ見てゆくと、「四庫全書」全体の分類の面白さを味わえます。ご関心のある方は、井波陵一氏の『知の座標――中国目録学』(白帝社、2003)や、「四庫全書」のディジタル化を進めているウェブサイト「維基文庫」などをご覧になるとよいでしょう。

そういえば「乙本」ではこの部分、どうなっているだろうと見てみると、本文には「漢に於ても其學域と云ふ更に區別あることなし」云々という補足はなく、欄外にこうあります。

〔朱書〕學に經學家史家及ひ文章等の區別ありと雖とも更に學域たるものあらす

これは「甲本」にはない補足です。訳せばこうなるでしょうか。

漢学には、経学、歴史、文章といった区別があるにはあるが、さらに学域というものはない。

ここで「経学」は先に見た「経部」に、「歴史」は「史部」、「文章」は「集部」に対応していると読んでよいでしょう。つまり、西先生はやはり「四庫全書」のような分類を念頭に置いているわけです。しかし、その分類はそのくらいのものであって、西欧の学術のように細かく専門に区別されてはいない、という比較をしているのでした。

「漢に於ても」という言い回しからは、「我が邦にもそうした学域の区別はないけれど、従来のお手本であった中国においても」という気分がにじんでいるように思いますが、いかがでしょうか。

というわけで、これにて最初のまとまりを読み終わります。

*

=漢(U+FA47)

=歷(U+6B77)

*

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
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時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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