歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第37回 A Whiter Shade Of Pale(1967/全米No.5,全英No.1)/ プロコル・ハルム(1967-1977,1991-)

2012年6月20日
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●歌詞はこちら
//www.lyricsfreak.com/p/procol+harum/a+whiter+shade+of+pale_20111595.html

曲のエピソード

楽曲の作詞を担当していたキース・リード(Keith Reid)が歌詞を、リード・ヴォーカル/ピアノ担当のゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker)がメロディを綴り、オルガン担当のマシュー・フィッシャー(Matthew Fisher)がイントロ部分を自作自演したこの曲は、プロコル・ハルムのデビュー曲にして最大のヒット曲。ハモンド・オルガンの音色で始まるイントロは、事前にこれをポピュラー・ソングだと知らなければ、クラシック・ナンバーだと勘違いしてしまいそう。その昔、筆者はとある洋書に、この曲のメロディはバッハの「G線上のアリア」を下敷きにしてあるもの、と書かれていたのを読んだ記憶があるが、全く同じではない。が、確かに似てはいる。そして、一度、耳にしたら忘れられない強い印象を聴く者に与えずにはおかないイントロだ。

作詞者のキースが、あるパーティ会場で、男性が女性に向かって「(ただでさえ色白の)君の肌が更に青白く(=a whiter shade of pale)なってきたよ」と言ったのを耳にしたことが、この曲を作るきっかけとなった、というエピソードはつとに有名。先ずはタイトルありきで、ちょっとした偶然の出来事が、今も聴き継がれ、歌い継がれる名曲を生む元となった。彼らのオリジナル・ナンバーが大ヒットしたその年から2000年代の現代に至るまで、ジャンルや国籍を問わず、多くのアーティストによってカヴァーされ続けている。中には、フランス語やイタリア語のヴァージョンも……。日本では、人気シンガーのアンジェラ・アキさんが独自の解釈を施した日本語訳詞によるヴァージョン(2006)が有名で、プロコル・ハルムの1967年当時の邦題「青い影」をそのまま用いている。

曲の要旨

客船のパーティ場で、ファンダンゴ(スペイン舞踊の一種)を踊った君と僕。そのうち僕はちょっと船酔いした感じで気分が悪くなったけど、そこに集まった人々はもっと僕たちに踊ってみせろよと扇ぎたてる。そのうち、夜はどんどん更けていって……。粉ひき職人として客船に雇われている男が、僕と踊った彼女を最初に目にした時は幽霊のような面差しで、透き通るように白い肌がどんどん青ざめていったもんさ、と問わず語りに話してくれた。ひょっとして、僕が一緒に踊って、今、目の前で共にトランプに興じている彼女は幻なのか、それとも……。

1967年の主な出来事

アメリカ: デトロイトをはじめとする数都市で大規模な黒人暴動が発生。
日本: 「オールナイトニッポン」の放送が開始され、ラジオの深夜放送の人気番組に。
世界: Association of Southeast Asian Nations (ASEAN/東南アジア諸国連合)成立。

1967年の主なヒット曲

Ruby Tuesday/ローリング・ストーンズ
Love Is Here And Now You’re Gone/シュープリームス
Happy Together/タートルズ
I Was Made To Love Her/スティーヴィー・ワンダー
All You Need Is Love/ビートルズ

A Whiter Shade Of Paleのキーワード&フレーズ

(a) called out for more
(b) (turned) a whiter shade of pale
(c) vestal virgin(s)

英語圏の人々が聴いても、その内容を容易に把握できないと言われている曲は、これまでにも本コラムで何度か採り上げてきたが、この「A Whiter Shade Of Pale」(今でも邦題は1967年当時の「青い影」のまま)は、もはや英語圏の人々が“内容を理解するのを諦めてしまう”ほど歌詞が難解だと言われている。そもそも、オリジナル・ヴァージョンの歌詞がどこか尻切れトンボにも思えて、「えっ、これで終わり?!」と驚いてしまうほど物語は唐突に終わってしまう。ところが、1stヴァース+コーラス+2ndヴァース+コーラスのくり返しから成るこの曲の歌詞には、実は1967年当時、3rdヴァースと4thヴァースが存在したのである。1995年には、オリジナル・ヴァージョンよりも1分10秒以上も演奏時間が長いロング・ヴァージョンのCDシングルがリリースされた。歌詞の全容は、以下のサイトで見ることができる。

//www.procolharum.com/w/w9901.htm

そこには、とんでもない結末が待っていた……(ここでは敢えて言及しない)。やはり物語は続いていたのだ。では、何故に1967年のリリース時に完璧な形で歌詞をレコーディングできなかったのか? 答えは至って単純明快。曲の演奏時間が長過ぎると、ラジオ局のDJたちに敬遠されてしまうから。特に1960年代は、ラジオこそが音楽愛好家たちにとって最重要メディアであったため、そのラジオ局の音楽番組担当DJたちから「曲が長過ぎる」といった理由で番組で流してもらえないとなっては、ヒットするものもヒットしない。例えば、かのジェームス・ブラウン(James Brown/1933-2006/通称JB)のシングル曲にはA面が“Part 1”、B面が同じ曲の“Part 2”となっているものが多いが、あれは単純に、45回転のシングル盤の一面に収まりきらない楽曲をA面とB面に分けて収録したまでで、“Part 1”と“Part 2”に特に意味はない。1970年代にディスコ・ブームが到来し、いわゆる12インチ・シングル(LPサイズと同じダンス・フロア向けのシングル盤/一面の演奏時間が長い)が登場して、ラジオ局のDJたちはそれぞれ好みの箇所でフェイド・アウトしたり、或いはフル・ヴァージョンをオン・エアしたりしていたものである。

ところがこの「A Whiter Shade Of Pale」は、JBのシングル盤のようなわけにはいかなかった。同曲シングル盤のB面には、「Lime Street Blues」という全く別の曲が収録されている。歌詞こそ難解で中途半端のままに終わってしまったが、無理やり4分3秒の演奏時間に短縮したことが奏功してか(それでも当時のシングル盤としては演奏時間がやや長め)、プロコル・ハルムの所属レコード会社がほとんど宣伝活動をしてくれなかったにも拘らず、大ヒットに結び付いたというわけだ。世の中、何が幸いするか判らない。楽曲の出来映えそのものが素晴らしいのは言わずもがなだが。

前置きが長くなってしまったので、そろそろキーワード&フレーズのご説明を。

来日した洋楽アーティストが“Do you wanna go home?(家に帰りたい?)”と叫んだのを聞いた観客が“Yeah!”と返してアーティストをビックリさせた、というのは昔の話である。今では当たり前のようにその問い掛けに“No!”と返す時代。では、“Do you want some more?”はどうか? もちろん、観客は“Yes!”と叫ぶ。

それと同じ意味のフレーズが(a)。“call out for help”は「助けを大声で求める」という意味だから、それに倣って言えば、(a)は「もっと(踊ってくれ)と(客船のパーティ会場の人々が)叫んだ」、即ち、「僕と君にもっと踊れ、と、客たちが大声で催促した」という意味になる。よって、先述のライヴ終盤のアーティストの決まり文句“Do you want some more?”は「もっと(僕の/私の歌を)聴きたい?」となるわけ。

筆者は、子供の頃、この曲がFEN(現AFN)の音楽番組 THE TIME MACHINE で流れてきたのを鮮明に憶えている。確か小学6年生の時だったと記憶しているが、その日の特集が“1967年のヒット曲”だった。以来、今でも時折、無性にこの曲が聴きたくなるのだが、聴く度に、この曲の歌詞が怪奇さを増していくような気がしてならない。

タイトルにもなっている(b)は、正式なイディオムの“turn pale(顔色などが真っ青になる)”に、“a whiter shade(白みがかった影)”を加えたもの。キースがヒントを得たというパーティ会場で耳にした男女の会話では、泥酔して気分でも悪くなった女性に向かって男性が言ったセリフだと想像できるが、曲の中では、“the miller(粉ひき職人)”が教えてくれた、最初は幽霊のように見えた女性の顔(その時点で既に怪奇的)が、いつしか“真っ青を通り越して白みを帯びていた”となっている。これはもう、彼女が実在しないもの――幽霊か、はたまた心霊現象か?――としか言いようがない。ホントは怖い曲なのである。筆者は、その粉ひき職人の問わず語りの部分から、この女性を「かつてこの客船から海に身を投げて自殺を図った人物」と推測した。そしてその女性が成仏できずに、まだこの客船の各室をさまよっていたとしたら……ゾゾゾ……。そして勝手な解釈ながら、原題を敢えて他の英語に置き換えるなら、「The Female Ghost (That I Met)」、これしかないと思う。

(c)は、ローマ神話に登場する女神Vesta(ウェスタ/煮炊きする場所、つまり台所を司る女神)に仕えた処女たちのことで、曲の主人公は、そのことを引き合いに出して、一緒にファンダンゴを踊り、トランプを楽しむこの女性に対して、“永遠の貞節を誓い合い、女神のために身を賭した処女たちと同じような目には絶対に遭わせたくないと思った”と、祈るような思いを込めて歌う。まあ、早い話が、「こんなに美しい女性を自分のものにしなくてどうする」と、武者震いしてる様子をかなり遠回し+詩的に表現したフレーズなのだが……(苦笑)。

さて、船上の男女はその後どうなったのか? 続きは3rdヴァース&4thヴァースでぜひ。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。