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「百学連環」を読む:ヒューマニティーズ

2012年 8月 10日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第70回 ヒューマニティーズ

 もう少し文章の話が続きます。

西洋文章のことを Belles-lettres と云ふあり。英語 Humanities 或は Elegant Literature. 英國文章をヒマニッチと云ふ意は則ち Mental Civilization なる意にして、凡そ文字なるものは心を開くものなれは、文字をヒマニッチ即ち人道と云ふに至れり。心の開くは是道の明かなるなり。心の開くは文字に關係する最も大なりとす。

(「百學連環」第28段落)

 いくつか補足します。行の右側、「西洋」と「文章」の間に「に」という語が見えます。「西洋の文章」という補足でしょうか。また、「英國文章」の「章」の字の右には「字」とあります。アルファベットによる表記には、その左側にそれぞれ次のような説明がつけられています。

Belles-lettres 好文字
Humanities 人道
Elegant Literature 高上ノ文章
Mental Civilization 心ノ開化

 加えて、Belles-lettresの右側には「佛語」と、これがフランス語である旨が記されてもいます。

 では、訳してみます。

西洋では文章〔に関わる学〕のことを、「文学(Belles-lettres)」と呼ぶこともある。英語では「人文学(Humanities)」あるいは「純文学(Elegant Literature)」とも言う。イギリスで文章を「人文学(Humanities)」と呼ぶのは、つまり、知的〔精神的〕な開化という意味である。およそ文字というものは、人間の心を開くものであり、このため文章〔に関わる学〕のことを、「人文学」と言うに至ったのである。心が開けるということは、その〔人間の精神に関する〕道が明らかになるということだ。心が開けるということは、なによりも文字と深く関係していることなのである。

 このくだりの現代語訳は、やや苦しいところがあります。Humanitiesを、西先生のように「人道」とできれば話も早かったのですが、今日では「人道」という言葉は、「人として守るべき道」といった道徳的な意味を連想させます。「ヒューマニズム」も同様かもしれません。

 そこで、ここではHumanitiesを当世風に「人文学」としています。大まかには、自然現象を研究対象とする自然科学(人文学に対照させて言うなら天文学)に対して、人間やその作物を研究する領域といってよいでしょう。

 その人文学と文章の学の結びつきは、例によってローマ以来の自由学芸、さらには古代ギリシアのエンキュクリオス・パイデイア(百学連環)まで遡る話でもあります。

 というのも、現在私たちが「人文学(あるいは人文主義)」という場合、その大きな淵源は、ルネサンス期に興った一連の学術の動きに求められます。この、14世紀から16世紀にかけてイタリアを先駆としてヨーロッパに巻き起こったとされる文化の動きは、古典古代、ギリシアやローマの学術技芸を復興しようとするものでした。「ルネサンス(Renaissance)」とは、「再生」を意味するフランス語ですが、「文芸復興」であり「古典再生」のことでしたね。

 14世紀のイタリアに端を発するルネサンスは、ペトラルカをはじめとして、一連の人文主義者たちを生み出します。彼らは、ギリシア、ローマの古典文献の復刻、判読、研究を通じて、従来とは違った新しい形で人間の本性を探究しようとしたのでした。

 そこでは、当然のことながら、古典をよりよく読むための学術もまた、大いに称揚されることにもなります。人間研究において、文章は切っても切れない関係にあると西先生が言うのも、そうした歴史的経緯を念頭に置いているのかもしれません。次回は、さらに文章の学の内実に迫ってゆきます。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

2012年 8月 10日