タイプライターに魅せられた女たち・第80回

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(5)

筆者:
2013年5月9日

2日後の1869年5月15日、ロングリー夫人は再び、『The Revolution』紙の編集局を訪ねていました。AERAが瓦解した後、女性運動家だけが、スタントン夫人に呼び出されたのです。編集局には、一昨日スタインウェイ・ホールにいた女性運動家たちが、数多く集まっていました。その集まりで、スタントン夫人とアンソニー女史は、新たな団体NWSA(National Woman Suffrage Association)の結成を提案しました。NWSAは、その名の通り、女性参政権の獲得を目的とした団体で、その他のこと、たとえば黒人参政権などに関わる活動はおこなわない、というのが、スタントン夫人とアンソニー女史の説明でした。NWSAに賛同する女性運動家は、NWSAの下部組織として、各州ごとの女性参政権運動を組織し、州の代表を選出してきてほしい、というのです。

NWSAの会長には、スタントン夫人が選ばれました。ロングリー夫人は、オハイオ州における女性参政権運動のための団体を組織することと、その代表を選出することを、引き受けました。隣のインディアナ州は、『Western Independent』紙のウェイ女史(Amanda M. Way)が引き受けましたが、その隣のイリノイ州を引き受けるべきリバモア夫人は、どういうわけかその場にいませんでした。シンシナティ郊外のラブランドに戻ったロングリー夫人は、シンシナティとデイトンさらにはコロンバスを忙しく往復しながら、オハイオ州での女性参政権運動団体設立に向けて、活動を始めました。

1869年6月8日、ロングリー夫人はインディアナポリスにいました。ウェイ女史の招きで、インディアナ女性権利協会(Indiana Woman’s Rights Association)の総会に出席するためです。実は、インディアナ女性権利協会は、1859年10月の第8回総会以後、活動を停止してしまっていました。この日、第9回総会を開催することで、ウェイ女史は、インディアナ女性権利協会の活動を再開すると共に、新たな女性参政権運動の中心にしようとしていたのです。この第9回総会で、ウェイ女史は会長に選出され、ロングリー夫人とスワンク夫人(Emma B. Swank)とコール夫人(Miriam M. Cole)が副会長となりました。スワンク夫人は地元インディアナポリス在住でしたが、ロングリー夫人とコール夫人はオハイオ州に住んでいました。もちろん、インディアナ女性権利協会としては、インディアナ州在住者を会長および副会長に選出する建前なのですが、急な開催の上に、他に人望のある人物がおらず、オハイオ州のロングリー夫人やコール夫人が副会長に選ばれたのです。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。