タイプライターに魅せられた女たち・第105回

メアリー・オール(14)

筆者:
2013年11月7日

1923年5月23日、オール女史は、CGT(Compagnie Générale Transatlantique)の蒸気船フランス号で、フランスのル・アーヴルに向けて、ニューヨークを出港しました。オール女史は、訪仏親善使節団の一員として、フランス各地を巡る旅に出発したのです。この親善使節団は、パリ、ストラスブール、アラスなど、第一次世界大戦の激戦地を訪問する目的で、アメリカじゅうから100人以上の女性を集めたものでした。というのも、これらの激戦地には、アメリカからも数多くの陸軍兵士が参戦しており、彼らの墓が残されていたからです。

オール女史自身は、兵士たちの墓に花を手向けながらも、しかし、別の目的がありました。フランス各地におけるタイプライターの普及の度合いを、その目で確かめておきたかったのです。ヨーロッパにおけるレミントン・タイプライター社は、パリなど大都市に代理店を置いているものの、売り上げは伸び悩んでいました。それが、レミントン・タイプライター社だけの問題なのか、それともヨーロッパにおけるタイプライターの普及全体に関わる問題なのか、そのあたりをオール女史は見極めたかったのです。ほぼ1ヶ月間に渡る日程を終え、6月30日、サヴォイ号でル・アーヴルを出港したオール女史は、7月8日、訪仏親善使節団の女性たちとともに、ニューヨークに帰港しました。

1923年9月12日、オール女史は、ニューヨーク州イリオンにいました。タイプライター製造開始50周年を祝う記念式典に参加するためでした。1873年6月にショールズがイリオンを訪れ、「Sholes & Glidden Type-Writer」というブランド名を決めてから、早くも50年が経過していたのです。レミントン・タイプライター社の全面バックアップのもと、地元のハーキマー郡歴史協会(Herkimer County Historical Society)の主催でおこなわれた記念式典のメインイベントは、ショールズ記念碑の除幕式でした。ミルウォーキー在住のリリアン・フォーティア夫人(Lillian Sholes Fortier、ショールズの末娘)や、シカゴ在住のメアリー・ショールズ夫人(Mary E. Bertha Ten Eyck Sholes;ショールズの息子クラレンス(Clarence Gordon Sholes)の妻)など、ショールズゆかりの人々を、イリオンでの除幕式に招待できたこともあって、記念式典は大成功に終わりました。

イリオンでおこなわれたショールズ記念碑の除幕式(1923年9月12日)、左から順に、ベネディクト、エリファレット・レミントン三世、リリアン・フォーティア夫人、メアリー・ショールズ夫人
イリオンでおこなわれたショールズ記念碑の除幕式(1923年9月12日)、左から順に、ベネディクト、エリファレット・レミントン三世、リリアン・フォーティア夫人、メアリー・ショールズ夫人

メアリー・オール(15)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。