タイプライターに魅せられた男たち・第121回

ジェームズ・デンスモア(14)

筆者:
2014年3月6日

1872年12月、デンスモアは、ヨストをミルウォーキーに招きました。すでにデンスモアは、「The American Type Writer」を何台かヨストに見せていましたが、さらに、ミルウォーキーでの製造工程をヨストに見せることで、ヨストに量産化の手立てを考えてもらおうとしていたのです。運河沿いのグリデンの工房で、ショールズやシュバルバッハ(Matthias Schwalbach)に設計の詳細な説明をしてもらい、全ての部品の製作作業を実際に目の前でおこなうことで、タイプライターの製造工程をヨストに理解してもらおうとしたのです。ヨストは、タイプライターの製造工程のみならず、各部品に必要な工作精度を、実際に部品を作り直して確かめたりした上で、一つの結論を下しました。このタイプライターは、ヨストのコリー・マシン社やアクメ・モーワー&リーパー社の技術では量産化できない、と。

そもそも、コリー・マシン社は石油タンク車の製造に、アクメ・モーワー&リーパー社は草刈機や収穫機の製造に、それぞれ特化して設立した会社です。いずれの会社も、大型機械をそれなりの工作精度で製造することが主眼なので、そのための技術者や工作機器を配備していて、タイプライターのような小型機械の製造には、必ずしも向いていないのです。確かに、それはデンスモアにも理解できました。では、たとえコリーがダメだとしても、シカゴやセントルイスのような大都市に、タイプライターを量産できる企業はないのでしょうか。ヨストには、一つ、思い当たる企業がありました。ニューヨーク州イリオンのE・レミントン&サンズ社でした。

E・レミントン&サンズ社の広告(『New-York Daily Tribune』1871年11月18日)

E・レミントン&サンズ社の広告(『New-York Daily Tribune』1871年11月18日)

デンスモアは、社長のレミントン(Philo Remington)に会うべく、タイプライターで手紙を書くことにしました。デンスモアの知る限り、E・レミントン&サンズ社の主力商品は、銃でした。南北戦争中は、大量のリボルバーを北軍に納入し、その結果、大きくなった企業です。銃に次ぐ主力商品は農業機械で、その意味では、ヨストやデンスモアにとってライバル企業とも言えました。さらに南北戦争後は、ミシンの製造も始めていました。E・レミントン&サンズ社には、いくつか子会社があって、農業機械の製造と販売は子会社のレミントン・アグリカルチュラル社が、ミシンの製造と販売は子会社のレミントン・ソーイング・マシン社が、それぞれ担当していましたが、いずれの子会社も製造工場そのものは、親会社と同じイリオンにありました。そのような大会社の社長レミントンに、デンスモアは、タイプライターで書いた手紙を送ったのです。

ジェームズ・デンスモア(15)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。