絵巻で見る 平安時代の暮らし

第45回 『承安五節絵』八段の「童女御覧(わらわごらん)」を読み解く

筆者:
2016年1月16日

場面:五節の童女を天皇が御覧になるところ
場所:平安京内裏清涼殿東面
時節:承安元年(1171)11月中の卯の日の夕刻

建物:①御簾 ②清涼殿東孫廂 ③三級の階 ④石橋 ⑤高欄 ⑥簀子 ⑦畳 ⑧棟瓦 ⑨南廊
人物:[ア] 汗衫(かざみ)姿の童女 [イ] 冠直衣姿の殿上人 [ウ] 関白 [エ][オ]大臣
衣装等:Ⓐ汗衫の表 Ⓑ汗衫の裏 Ⓒ長袴 Ⓓ衵(あこめ) Ⓔ単衣 Ⓕ襟元 Ⓖ檜扇

絵巻の場面 今回も『承安五節絵』を採り上げます。この場面は天皇が清涼殿で、舞姫に付き従ってきた童女と下仕をご覧になるところです。五節行事の三日目の卯の日の夕刻に行われた「童女御覧」になります。最初に天皇は絵の中でどこにいるのかを確認しましょう。第40回第41回で清涼殿を見たことを思い出してください。また、絵巻では天皇の姿をはっきりと描くことはありませんでしたね。この絵でも同じなのです。もうお分かりですね。下ろされた①御簾の奥の東廂に設けた御座で天皇が坐って見ていることになるのです。ただし、『承安五節絵』が承安元年(一一七一)成立としますと、時の高倉天皇はわずか十一歳でした。

絵巻の本文 それでは今回の絵の説明になる詞書本文を確認しましょう。

 卯日。肩脱ぎ今日は衣を出ださず。昨日の道のままに巡り果てぬれば、童女御覧なり。清涼殿の孫廂に、関白已下大臣両三着座。その後、童女を召す。末々の殿上人、承香殿の戌亥の隅のほとりより受け取りて、仮橋より御前に参るなり。下仕、承香殿の隅の簀子、橋より下りて参る。蔵人これに付く。殿上人の付くこともあり。
【訳】 卯の日。肩脱ぎは、今日は衣を出さない。昨日の道の通りに巡り終えると(第44回参照)、童女御覧である。清涼殿の孫廂に、関白以下大臣が二、三人着座する。その後、童女を召す。若輩の殿上人が、承香殿の北西の隅のそばから童女を引き取って、仮橋から御前に参上するのである。下仕は、承香殿の隅の簀子を通り、仮橋から下りて参上する。蔵人が下仕に付く。殿上人が付くこともある。

この詞書で、描かれた人物たちが理解できますね。以下、確認していきますが、その前に本文にあった仮橋について触れておきます。仮橋は仮設の橋のことで、五節では清涼殿と、その東北側にあった承香殿との間に渡されました。画面では描かれていませんが、右のほうにありました。その様子は『承安五節絵』五段に描かれていますので見てみてください。

清涼殿の童女 「童女御覧」は、詞書にもありましたように、[ア]童女は②清涼殿の東孫廂に参上しました。画面は、その折のことになります。童女は、その正装の汗衫姿で、第42回で見ましたね。文様のついた部分がⒶ汗衫の裾の表、ないのがⒷ裏で、Ⓒ長袴の裾とともに後ろに引かれています。袖口にはⒹ衵が重ね着され(重ね衵)、その下のⒺ単衣も見えます。肩の下あたりにはⒻ襟元が見えていますが、これは唐衣の襟のように外側に折り返して着ている様です。手には、飾りの総を垂らした豪勢なⒼ檜扇を持ってかざし、顔を隠しています。童女の顔をよく見たい時は、扇を下に置かせることもありました。どんなに恥ずかしかったことでしょう。

詞書にありました下仕は、③三級の階の手前にある④石橋のさらに手前に控えていることになります。なお、実際には、石橋の下には御溝水(みかわみず)が流れていますが、ここには描かれてはいません。

若き殿上人 童女を承香殿から仮橋を渡ってエスコートしてきたのが、⑤高欄を背にして⑥簀子に坐る[イ]殿上人です。詞書には「末々の殿上人」とありました。「末々」は、年下、若輩の意味です。若々しく緊張した顔に描かれていますね。清涼殿に上がるには束帯姿が普通ですが、五節では冠直衣が許されたのでした。

大臣たち 舞姫の左側の⑦畳の上に坐っているのが、[ウ][オ]同じく冠直衣姿の大臣たちです。円座に坐るのが普通ですが、どういうわけか畳になっています。大臣たちは皆、童女を注視しています。どんな容貌なのかを見ているのです。

大臣たちの序列は、この場合、[ウ]右側に坐る人が上位になりますので、詞書には「関白已下大臣」とありました「関白」になります。しかし、承安元年には関白は不在で、摂政太政大臣として当時二十八歳の藤原基房がなっていました。その割には絵の顔は老けて見えますね。承安二年の童女御覧の時は、摂政基房は天皇の側近く、御簾の内に控えていました。詞書は事実と違っていますが、この通りとしますと、残りの[エ][オ]二人が左大臣・右大臣・内大臣のいずれかになります。しかし、大臣ではない人も控えることがありました。詞書は後世の改作とされていますので、史実と照らし合わせて理解する必要はないのでしょう。ただし、絵の理解に役立つことは確かです。

童女御覧 この段の絵は、これで全体ですので、場面の構図は単純です。絵は横長になっていないのです。画面左側は、⑧棟瓦が置かれた⑨南廊で区切られますが、もしかしたら右側には他の童女が描かれていたのかもしれません。しかし、これは憶測になりましょう。

童女御覧に、行事としての深い意味はあまりなさそうです。神への五節の舞奉納はともかくとして、この行事は男性貴族たちに舞姫や童女や下仕などの姿をあらわに見ることのできる機会を与えるだけであったようです。それだけに一層、彼女たちは緊張を強いられたことでしょう。そのあまりに気分を悪くしてしまう童女もいました。逆に他に負けまいと気負い立つ人もいたようです。

男性の視線にさらされる行事でしたので、心ある女房などは批判的なまなざしを向けることもありました。その代表が紫式部です。『紫式部日記』には寛弘五年(一〇〇八)の五節に際して、彼女たちの容貌・衣装などが見られ、噂される存在であることを記しています。特に童女御覧の日の、「くもりなき昼中に、扇もはかばかしくも持たせず」にいる童女に、紫式部の深い同情が寄せられています。童女の気持ちになって、この段を見ることも必要なのだと思われます。

*2017年3月8日に一部、修正を行いました。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

■大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは、『年中行事絵巻』に戻り、紫宸殿から朝覲(ちょうきん)行幸に出発する場面を取り上げる予定です。ご一緒に絵の中の内裏の様子を見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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