小さなものや、か弱いものにも優しい目を向けて、たくさんの句を作った小林一茶。今日でも親しまれている作品も、多くあるなか、次の一句も有名なものの一つですね。
我と来て 遊べや 親のない雀
作家の丸谷才一氏は、この句についての「文学的大発見」を語っています(同氏『低空飛行』新潮文庫、1980.5 p.264-265)。
彼女(筆者注:酒場の女の子)と同じアパートにゐる家に小さな男の子がゐて、向ひのアパートにも同じ年ごろの男の子がゐる。後者が前者のところへ、毎日、遊びに来るのだが、奇妙なふしで、「遊べや!」と叫ぶ。それがどうしてもをかしくて仕方がない。
「両親は信州の人なんですつて」
とその娘は言ひ添へたのだ。
ぼくはこの話を聞いたとき、何か頭脳がチカチカと刺激を受けたやうに思つたのだが、一瞬早く、ぼくの向ひにゐた年増が言つた。
「ほら、一茶にあるぢやない。『われと来て遊べや親のない雀』」
ぼくはそれを聞いて、これは全面的に正しいぞと思つたのである。
(中略)
その後、調べたところでは、「遊べや」が信州の子供のきまり文句だと指摘してゐる評釈はやはり見当らないやうである。つまりこれは文学的大発見なのだ。
丸谷説によると、「遊べや」の「や」は、切れ字云々の前に、今日の我々信州人も使っている「出かけようや」の「や」と同じということです。
さあ、大変。有名な句だけに、あるわ。あるわ。一茶記念館(長野県上水内郡信濃町)の売店や、周辺の土産物品店では、この句をあしらった品物がすぐに目に留まります。鉛筆・色紙・短冊・絵はがき・茶ぶきん・湯呑み・貯金箱・句碑など、「方言グッズ」の種類は、多岐にわたります。方言は一か所ではありますが、これだけ集まるとなかなかの迫力です。
なお、現在では、丸谷説も支持者があるようで、一茶研究者の評釈でも方言説が取り上げられています。