人名用漢字の新字旧字

第118回 「梨」と「棃」

筆者:
2016年10月13日

新字の「梨」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「棃」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「梨」は出生届に書いてOKですが、「棃」はダメ。どうして、こんなことになっているのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の木部には、新字の「梨」が収録されていましたが、旧字の「棃」はカッコ書きにすらなっておらず、標準漢字表のどこにも収録されていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも新字の「梨」だけが含まれていて、旧字の「棃」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、新字の「梨」を削除してしまいました。当用漢字表は「使用上の注意事項」で「動植物の名称は、かな書きにする」としており、このルールに従えば、新字の「梨」も旧字の「棃」も、当用漢字表には不要だと判断されたのです。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「梨」も「棃」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「梨」も「棃」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

当用漢字1850字と人名用漢字92字では子供の名づけに足りない、という国民の声を受けて、法務省民事局は昭和50年7月、子供の名づけに使える漢字として追加すべきものを、全国の市区町村を対象に調査しました。さらに法務省民事局は、法務大臣の私的諮問機関として、人名用漢字問題懇談会を発足させ、人名用漢字に新たに28字を追加すべきだ、という結論を得ました(昭和51年5月25日)。この28字に、新字の「梨」が含まれていたのです。そして昭和51年7月30日、この28字は、人名用漢字追加表として内閣告示されました。この時点で、新字の「梨」が子供の名づけに使えるようになりましたが、旧字の「棃」はダメだったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「棃」は、出生届を拒否された管区は無く、漢字出現頻度数調査の結果が0回で、JIS第4水準漢字だったので、人名用漢字の追加候補になりませんでした。

その一方で法務省は、平成23年12月26日に入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「梨」に加え、旧字の「棃」が書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「梨」はOKですが、旧字の「棃」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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