人名用漢字の新字旧字

第125回 「无」と「無」と「𣠮」

筆者:
2017年1月26日
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新字の「无」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「𣠮」も、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。こんな妙なことになってしまった原因は、俗字の「無」が当用漢字になってしまったからなのです。なお、「无」と「𣠮」の新旧には議論があるのですが、ここでは「无」を新字、「𣠮」を旧字としておきましょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表2528字を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、火部に俗字の「無」が収録されていましたが、新字の「无」や旧字の「𣠮」は収録されていませんでした。文部省は12月4日に標準漢字表を発表しましたが、そこでも俗字の「無」だけが含まれていて、新字の「无」や旧字の「𣠮」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、火部に俗字の「無」が含まれていて、新字の「无」や旧字の「𣠮」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、俗字の「無」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、俗字の「無」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には俗字の「無」が収録されていたので、「無」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「无」や旧字の「𣠮」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

それから半世紀の後、平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であればどんな漢字でも人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「无」は、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無く、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が106回でした。この結果、新字の「无」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。一方、旧字の「𣠮」は、そもそもJIS第1~4水準漢字に含まれていないので、追加対象になりませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「无」と俗字の「無」を含んでいました。しかし、入国管理局正字にも、旧字の「𣠮」は含まれていませんでした。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、俗字の「無」に加え、新字の「无」も書けるようになりましたが、旧字の「𣠮」はダメなのです。これに対し、日本人の子供の出生届には、俗字の「無」はOKですが、新字の「无」や旧字の「𣠮」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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