場面:大臣大饗で鷹飼(たかがい)と犬飼(いぬかい)が登場するところ
場所:東三条邸の寝殿とその西側など
時節:1月4日
建物等:Ⓐ寝殿 Ⓑ五級の御階 Ⓒ塗籠となる部屋 Ⓓ西広廂 Ⓔ妻戸 Ⓕ西北渡殿 Ⓖ休所(やすみどころ)となる部屋 Ⓗ西透渡殿(すきわたどの) Ⓘ西簀子 Ⓙ南廂 Ⓚ親王の座の畳 Ⓛ尊者の座 Ⓜ公卿の座 Ⓝ西廂 Ⓞ弁・少納言の座 Ⓟ外記・史(さかん)の座 Ⓠ西中門廊 Ⓡ千貫(せんかん)の井 Ⓢ溝 Ⓣ透廊(すきろう)
人物:[ア] 鷹飼 [イ]犬飼 [ウ]下役の者 [エ]主人 [オ]尊者の公卿 [カ]非参議大弁
調度など:①折敷 ②屛風 ③軟障(ぜじょう) ④御簾 ⑤・⑦・⑧・⑨・⑪台盤 ⑥茵(しとね) ⑩出雲筵の帖(じょう) ⑫幔門(まんもん) ⑬雉 ⑭鷹 ⑮犬
はじめに 今回は、第54回で扱いました東三条邸を会場とした大臣大饗の続きになります。そこでの東三条邸の図には、Ⓐ寝殿南面のⒷ五級の御階の位置が間違って描かれていました。今回のもそれが踏襲されていて、一間分西側に描かなくてはならないところでした。この他にも史料に照らしておかしな点があります。画面右上の角は二間四方のⒸ塗籠になりますが、区画されてしまっています。また、寝殿Ⓓ西広廂の北側に描かれるⒺ妻戸の西側は、Ⓕ西北渡殿の一間分でⒼ休所にされましたが(後述)、二間分あるようになっていて人物が描かれてしまっています。こうした欠点がありますが、大饗の宴席が描かれたことで、今回の場面は貴重な史料になっています。
絵巻の場面 この場面は[ア]鷹飼と[イ]犬飼が登場するところです(後述)。それと併せて、鳥瞰的な吹抜屋台の技法で、室内の宴席の様子も描いています。高い建物などなかった時代に、よくもこうした鳥瞰図が描けたものと思います。この構図によって、東三条邸の内部と、大臣大饗の宴席に対する視覚的な理解ができますね。
宴席の序列 それでは、東三条邸の構造を確認しながら、宴席の様子を見ていきましょう。画面右側(東)がⒶ寝殿、左側(西)手前がⒽ西透渡殿、奥がⒻ西北渡殿になります。宴は進行していて、西透渡殿に二人、寝殿のⒾ西簀子とⒹ西広廂に一人ずつの、四人の下役の者が料理を運んでいるのが見えます。西簀子の[ウ]人には①折敷を捧げ持っている様子が分かります。
画面でまず目につくのは、宴席が幾つにも分かれていることです。なぜ分かれているのかは、前々回の拝礼の場面で明らかですね。身分・序列が、宴席の座にも及んでいるのです。そして、寝殿には②屛風、西北渡殿には③軟障が張り巡らされて宴席を区画していることが分かります。この違いも身分差を示し、座席が区別されました。なお、寝殿の屛風の後ろには壁代と④御簾が垂らされますが、画面では一部しか描かれていません。
主人と尊者の座 まず、主人の座を確認しましょう。Ⓙ南廂が[エ]主人の座です。大饗が始まった時には、Ⓚ親王の座とされる二帖敷かれた畳に坐りましたが、途中から朱塗の⑤台盤と菅円座(すげえんざ)を置いて、ここに移りました。藤原氏の氏の長者が行う大饗では、朱器台盤(大盤とも)といって、朱塗の、器と台盤を主客が代々使用しました。朱器大饗という言い方もされ、氏の長者としての威勢を誇示したのです。
大臣大饗の来客のうち、最も身分が高い二人が尊者とされましたね。Ⓛ尊者の座は、母屋の東側に二つ設けられます。この日の[オ]尊者は一人だけでしたので、南側に坐しています。二人の場合には、南側が上席になります。画面でははっきりしませんが、座の設け方にも作法がありました。板敷の床の上に、長筵・菅円座・地敷・⑥茵の順で重ねられ、⑦台盤が、油単(ゆたん。湿気を防ぐために油をしみ込ませた敷物)の上に置かれました。
公卿の座と弁・少納言の座 尊者の座の西側は、Ⓜ公卿の座になります。⑧台盤十二脚を二列に置いて向かい合って坐る、二行対座にしました。尊者の座と違って、ここは北側が上席です。長筵・菅円座・地敷を重ねて敷き、さらに円座を置きます。公卿は大納言・中納言・参議の身分がありますので、その差を視覚化するために、一番上に敷く円座の縁(へり)の色が変えられました。大納言は紫縁、中納言は青縁、参議は高麗縁とされたのです。
Ⓝ西廂が、Ⓞ弁・少納言の座です。ここも画面ではっきりしませんが、上席となる北端は、高麗縁の円座が敷かれた[カ]非参議大弁の座とされ、台盤一脚が置かれました。その南に間隔を空けて四脚の⑨台盤が一列に並べられ、円座はなく出雲筵が敷かれました。円座と筵で、身分を違えたのです。
外記・史の座 寝殿から離れた、東西四間となるⒻ西北渡殿の西側三間が、Ⓟ外記・史の座です。ここも二行対座になります。北側が外記、南側が史で、⑩出雲筵の帖(薄い畳)が敷かれ、⑪台盤二脚が置かれました。
西北渡殿の東端の間(ま)は、臨時に南北二つに区画され、北が公卿、南が尊者のⒼ休所とされましたが、先ほど触れましたように、尊者以外の人物が描かれてしまっています。休所は、用を足すために設けられました。