絵巻で見る 平安時代の暮らし

第47回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の献詩披講」を読み解く

筆者:
2016年3月19日

場面:内宴(ないえん)で天皇に献詩披講(ひこう)されるところ
場所:平安京内裏の紫宸殿北面から仁寿殿にかけてと東庭
時節:1月21日ごろの夜

建物:①仁寿殿 ②紫宸殿 ③南広廂 ④母屋 ⑤母屋の柱 ⑥・⑧・⑯上長押 ⑦簀子 ⑨下長押 ⑩石灰壇(いしばいだん) ⑪階 ⑫基壇 ⑬石階 ⑭出廂 ⑮柱 ⑰砌(みぎり) ⑱・高欄 ⑲東簀子 ⑳紅梅 直方体の枠組み(東渡殿) 枠組み(中渡殿) 露台 北簀子 壁 片階 格子 妻戸 東庭 舞台 東北軒廊(こんろう) 恭礼門(きょうれいもん)
室礼・装束:Ⓐ松明 Ⓑ屏風 Ⓒ倚子(いし) Ⓓ緌(おいかけ)の冠 Ⓔ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓕ脂燭(しそく) Ⓖ漆箱 Ⓗ蓋 Ⓘ笏 Ⓙ・Ⓛ御簾 Ⓚ鉤丸緒(こまるお) Ⓜ几帳の裾 Ⓝ野筋 Ⓞ台盤 Ⓟ・Ⓢ草墪(そうとん) Ⓠ打敷(うちしき) Ⓡ灯台 Ⓣ虎皮の敷物 Ⓤ文台(ぶんだい) Ⓥ帽額(もこう) Ⓦ組緒 Ⓧ柳の小枝 Ⓨ幔(まん)
人物:[ア]束帯姿の外記 [イ]褐衣(かちえ)姿の近衛府の舎人(とねり) [ウ]束帯姿の天皇 [エ]束帯姿の近衛府の次将 [オ]束帯姿の大臣 [カ]束帯姿の講師 [キ]束帯姿の読師  [ク]束帯姿の公卿 [ケ]束帯姿の文人

内宴 今回は『年中行事絵巻』から内宴の様子を読み解くことにします。内宴とは正月二十一日ころに天皇が仁寿殿に出御(しゅつぎょ)し、漢詩文に堪能な公卿や文人を召して行う内々の宴のことです。『年中行事絵巻』には、⑴内宴に赴く公卿たちの様子、⑵仁寿殿東庭での拝礼、⑶昇殿しての宴、⑷女舞の観覧、今回採り上げる⑸献詩披講、そして、⑹公卿たちの御遊(ぎょゆう)などの一連の様子が描かれています。ただし、現存の『年中行事絵巻』には錯簡があって、⑴⑵⑸⑶⑹⑷の順になっていますので、ご注意ください。献詩披講とは、召された公卿や文人たちが、与えられた題によって漢詩を作り、天皇に献上して披講(読み上げて披露する)することを言います。

絵巻の構図 最初に絵巻の構図と時間を確認しておきましょう。構図は内裏の北東から①仁寿殿と②紫宸殿を見るようになっていますので、画面左側が東、上部が南です。仁寿殿の南側(画面右上)などは吹抜屋台の方法によって、この行事の様子を描いています。なお、線描にあたっては、献詩披講の段の上下左右それぞれをカットしていることをお断りしておきます。

この折の時間は、すでにお分かりですね。Ⓐ松明を持った[ア]束帯姿と[イ]褐衣姿(狩衣の一種)の人がいますので夜になっています。前者は外記(げき。太政官の少納言の下の官人)で、後者は近衛府の舎人(下級官人)になります。

漢詩の披講 それでは献詩披講の様子を見ることにしましょう。画面右側です。並べたⒷ屏風の向こう側でⒸ倚子に坐って背を向けているのが[ウ]天皇です。場所は、仁寿殿の③南廂(南広廂とも)で、屏風の手前は④母屋になりますね。⑤母屋の柱と⑥上長押が見えます。本来でしたら、廂との境には御簾が下ろされますが、絵では省略されています。天皇の両側にいるのは、Ⓓ緌の冠にⒺ平胡簶を背負った[エ]近衛府の次将で、Ⓕ脂燭をかざして天皇の前を照らしています。天皇の左側にあるのがⒼ漆箱とそのⒽ蓋です。箱には漢詩の題が書かれた紙、蓋には作られた漢詩を載せています。

天皇の前でⒾ笏を持って坐っているのは[オ]大臣と[カ]講師で、横向きが[キ]読師になるでしょうか。読み上げているのでしょう。この後ろの⑦南簀子に坐る前列四人は[ク]公卿、後列は[ケ]文人です。廂の⑧上長押には、巻き上げられたⒿ御簾と、それを留めるⓀ鉤丸緒が描かれています。こうした配置で漢詩が天皇に披講されたわけです。

仁寿殿 披講の場となる仁寿殿をさらに見ておきましょう。東南の隅の廂は、その西側(右側)よりも⑨下長押分低くなっていて、漆喰で塗られた⑩石灰壇(神事を行う壇)になっています。これがあるのは、かつて天皇の常御殿だった名残とされています。石灰壇との境は格子になりますが、吹抜屋台の技法によって描かれていません。石灰壇の東(左側)には七級の⑪階が⑫基壇に下ろされ、さらに二級の⑬石階が続いています(基壇を含めると三級)。下りた所は⑭出廂といい、構造的には土廂になります。ここに立つ五本の⑮柱と⑯上長押の上に廂屋根があることになります。この柱の左側の地面は、水を流す⑰砌になっています。

東面にはⓁ御簾が下ろされ、添えられたⓂ几帳の裾とⓃ野筋が、⑱高欄のついた⑲東簀子に押し出されています。南一間分だけは短めに押し出されていますね。簀子の左の木は⑳紅梅です。

渡殿と露台 続いて仁寿殿と紫宸殿とのあいだを見ましょう。斜めに置かれた机はⓄ台盤で、その上には宴の料理が並んでいます。台盤の両側に並ぶのは、腰掛けとなるⓅ草墪です。手前には、夜になっていますので、Ⓠ打敷(敷物)に置いたⓇ灯台が見えます。

台盤の右端は、直方体の枠組みのような内部に入りこんでいます。ここは東渡殿になり、やはり戸などは省略されています。吹抜屋台という技法を知らなければ、不思議な絵になりますね。右側にも枠組みがあり、こちらは中渡殿になります。渡殿以外の部分は、榑(くれ。薄板)を敷いた露台になっています。ですから、Ⓞ台盤は露台から東渡殿にかけて置かれていることになります。

露台は南北四間で、北一間は仁寿殿の⑦南簀子、南一間は紫宸殿の北簀子になります。東面には高欄があり、その左にも二つのⓈ草墪が置かれ、この上部にも六つあります。二つの方は、出居の座(でいのざ。役務にあたる官人の座)、六つは文人の座とされます。文人の座の右にもⓆ打敷に置かれたⓇ灯台がありますね。

紫宸殿北面 文人の座は紫宸殿北簀子でした。紫宸殿の北面を見ましょう。北簀子の画面中央にあるⓉ虎皮の敷物に置かれた机はⓊ文台と呼ばれ、漢詩の題を書いた紙が納められる箱が載せられました。この箱は、今は天皇の前に運ばれています。

北簀子の東端からは、壁に沿って片側だけに高欄がついた片階が⑪基壇に下りています。文台の後ろに見えるのは三間分の格子で、その両側は妻戸になります。

東庭の舞台 最後に東庭を見ましょう。舞台がありますね。錦が敷かれています。ここで女舞が行われていたのですが、もう終わっています。舞は、内教坊(ないきょうぼう)と呼ぶ教習所に属する妓女(ぎじょ)が当たりました。舞台は高欄をめぐらし、その下にはⓋ帽額を引き回しています。垂れた紐のように見えるのは、Ⓦ組緒です。舞台の角にあるのはⓍ柳の小枝で、これは柳花苑(りゅうかえん)という曲を舞う舞台であることを示しています。

舞台の画面上部には、Ⓨ幔と呼ぶ幕が引かれ、絵のように間隔を置いて並置されると門のようになりますので、幔門と呼ばれます。

幔の奥は紫宸殿の東北軒廊と呼ぶ所になります。絵でははっきりしませんが、恭礼門があります。

『年中行事絵巻』「内宴」の意義 嵯峨天皇から始まった内宴は後一条天皇の長元七年(1034)以後に中絶し、保元三年(1158)になって内裏新造に伴い再興され、翌平治元年にも行われましたが、以後廃絶しました。ですから、この絵巻の内宴は、保元・平治の時代のものになります。当時わずか二回しか行われませんでしたので、こうして絵画化されたのは、きわめて貴重なのです。なお、舞の場面は、次回で採り上げる予定ですので、ご期待ください。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、引き続き『年中行事絵巻』を見て参ります。どうぞお楽しみに。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております