「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン

第58回 ベントン彫刻機の幅広い活用――岩田母型とベントン②

筆者:
2020年10月28日

毎日新聞社が開いた国産ベントン彫刻機のお披露目展示会に、社長の岩田百蔵の命により足を運んだ岩田母型製造所(以下、岩田母型)の髙内一は、すぐさまこの機械の導入を決めた。そしてベントン彫刻機によって製造された岩田母型の彫刻母型は、大好評を博した。

 

岩田母型の彫刻母型

岩田母型の彫刻母型

 

そもそも、職人が原寸大に手彫りした種字からつくっていたそれまでの「電胎母型」と、ベントン彫刻機による「彫刻母型」、そしてその後、三省堂から独立した細谷敏治によって実用化された「パンチ母型」、それぞれの特徴とはどのようなものだったのだろうか。昭和36年(1961)に雑誌『印刷界』に掲載された記事から見てみよう。

 

 電胎母型は一番安価だが耐久力がない。製作するのに大きな設備がいらないから、中小メーカーが安易に作り、製造の工程によって価格を高くも安くも自由にすることができるものであるから信頼性が低いわけである。

 彫刻(ベントン)母型はパターンがそのまま数種の大きさの父型の役目をして一本ずつ彫刻する。一本ずつ彫刻するのだから時間がかかり従って高価になる。しかし耐久力は電胎母型の倍以上という強さである。

 打ち込み(パンチ)母型は硬度の高い鋼材でできた父型を圧して作る(句点なし原文ママ)父型を作るのに多額の費用を要するが、以下の操作はもっとも簡単であるから、安価であり耐久力は彫刻母型と同じである。

橘弘一郎「母型づくりに47年 岩田母型製造所 岩田百蔵氏に聞く」(1961)[注1]

 

電胎母型は種字彫刻師が一本ずつ手彫りした種字を父型とし、メッキの原理でそこから型をとって字面部分をつくり(ガラハ)、これをマテ材にはめこんでつくる。手彫りなので字面の深さにばらつきがあり、また、マテにガラハをはめこむ作業で寄り引きがずれることがある。さらには、はめこんでつくっているので耐久度が低い。

 

彫刻母型はベントン彫刻機という精密機械で彫っているので活字高低差が生まれにくく、またマテ材に直接彫刻するので耐久度が高い。しかし一本一本彫刻するため、価格は高くなる。

 

パンチ母型は、ベントン彫刻機で彫った父型(凸型)を鋼材に打ち込んでつくるため、量産にもっとも向いている。価格は電胎と彫刻の中間ぐらいとなる。

 

さまざまな母型(「活字母型の八十年」、1952)[注2]

さまざまな母型(「活字母型の八十年」、1952)[注2]

 

昭和39年(1964)の岩田母型の価格表によると、同じ10ポイント(5号)明朝体の母型の価格は、電胎が80円、彫刻母型は210円、パンチ母型は120円だ。新規に父型やパターンを作成する場合は、別途料金が必要だった。たとえば、まったくあたらしい書体で彫刻母型をつくりたい場合にどれぐらい費用がかかるかを聞かれて、岩田百蔵はこう答えている。

 

(橘)特別に変った趣味的な本を作るために、全く新しいタイプの文字を14ポイントで三千文字作ろうとすると、どの位の費用が必要でしょうか。

 「パターンを作り、母型を作るのに一個約四五〇円はかかりますね。レタリングする費用はふくんでいませんが、これが案外高価につきますから、大変なお道楽になりますよ。」

 =450×3,000字=¥1,350,000 この他に活字鋳造費などが必要なのだから大きな金額になりますね。これでは外国のスクリプトタイプのような〈ペン字体〉などというものが(筆者注:日本では)現われないわけですね。

橘弘一郎「母型づくりに47年 岩田母型製造所 岩田百蔵氏に聞く」(1961)[注3]

 

しかし精密機械であるベントン彫刻機で母型を製造することで、母型の文字面の深さが厳密に統一された。それはつまり、活字の高低差をなくすことにつながった。活字の高低にばらつきがあると、印刷時にムラが生じるため、印字の薄い部分に薄紙を貼るなど「ムラ取り」の作業が生じる。岩田母型の彫刻母型は、この作業を軽減した。

 

岩田母型の新製品を使用して以来、近頃印刷機械が精巧になってきたのに加えてムラとりがいらなくなったので、印刷の能率が27%も上昇し 来て(ママ)、利益が増加してきたと喜ばれ、各社より感謝の書状をたくさん頂いて、当社一同は永年の苦心と研究に報いられる処があった事に感激むせんでおります。

『岩田母型活字書体見本』(岩田母型製造所、1959)[注4]

 

岩田母型製造所は多数のベントン彫刻機を設備し、彫刻母型の製造をおこなっていた(『岩田母型活字書体見本』岩田母型製造所、1959)

岩田母型製造所は多数のベントン彫刻機を設備し、彫刻母型の製造をおこなっていた(『岩田母型活字書体見本』岩田母型製造所、1959)[注5]

 

岩田母型は、昭和30年の時点でベントン彫刻機を15台、昭和34年には18台を所有し、最終的には20台ぐらいを自社内に設備した(うち新品で購入したのは15台程度で、のこりは中古品を購入)。さらに、外注先の30台分をあわせ、50台分の生産能力を有していた(髙内談)。ほかにベントン彫刻機を50台もっていたのは、日本タイプライターと東京機械製作所だという。これらはモノタイプを製造しているメーカーだ。モノタイプという機械は、1台1台に母型庫がついている。このため、モノタイプを製造するには、大量の母型を彫刻しなくてはならなかったのである。[注6]

 

モノタイプの母型庫。この1枚に多数の母型が収められており、機械1台につき1つ必要だった(三省堂印刷八王子工場所蔵)

モノタイプの母型庫。この1枚に多数の母型が収められており、機械1台につき1つ必要だった(三省堂印刷八王子工場所蔵)

 

津上製作所とほぼ同時期にベントン彫刻機を開発した不二越精機は、岩田母型の髙内のもとにも何度も営業にやってきた。不二越精機のベントン彫刻機は、価格は45万円と津上製より安かったが、精度も劣っていたこと、また、機械のメーカーを混ぜてしまうとメンテナンスがたいへんになるという理由から、髙内が不二越のベントン彫刻機を入れることはなかった。

 

昭和60年(1985)ごろを境に、岩田母型への活字・母型の注文は急降下した。印刷の主役が写真植字とオフセット印刷の組み合わせへと切り替わったことが原因だった。そこで髙内は、ベントン彫刻機に自社で開発した治工具を取り付けて、タイプライター用活字などを彫刻しはじめた。岩田母型では、髙内の入社当時は工作部に人員が2人しかいなかったが、ベントン彫刻機導入にあたり、髙内の方針で8人まで増やしていた。彼らがベントン彫刻機のメンテナンスだけでなく、特殊な治工具の開発をおこなったのだ。

 

ゴルフボール型をはじめ、さまざまなタイプライターの活字。岩田母型は、本来平面しか彫刻できないベントン彫刻機に特殊な治工具を取りつけ、これらの母型を彫刻した(髙内一氏所蔵)

さまざまなタイプライターの活字。上段左、中央のボール状のものは通称「ゴルフボール」「タイプボール」と呼ばれた活字(タイプライターにセットして、印字部となる)で、5段×26列=130字が収容されている。岩田母型は、本来平面しか彫刻できないベントン彫刻機に特殊な治工具を取りつけ、これらの母型を彫刻した(髙内一氏所蔵)

 

ベントン彫刻機は、毎日新聞社の注文を皮切りに量産化され、大手印刷会社や活字・母型製造販売会社、新聞各社など、おおくの会社が導入したが、岩田母型ほど独自の使用方法・活用方法をかんがえ、ベントン彫刻機による彫刻母型を世に知らしめ、ひいては活版印刷用の母型・活字のみにとどまらず、さまざまな用途で活用した例はほかには見られない。

 

こうして、大日本印刷が三省堂の協力を得て、津上製作所で製造した国産ベントン彫刻機は、毎日新聞社の注文を起点として量産化・一般販売され、岩田母型製造所の導入によって「彫刻母型」の質の高さがひろく知られるところになり、さまざまな会社の導入をうながしたのである。

 

『印刷百科辞典』(印刷時報社、1952)に収録されている岩田母型の広告。全漢字のベントン彫刻機用のパターンと母型の製造に取り組んでいる最中で、ここに掲載されている組見本は、ひらがなのみ彫刻母型を使用している

『印刷百科辞典』(印刷時報社、1952)に収録されている岩田母型の広告。全漢字のベントン彫刻機用のパターンと母型の製造に取り組んでいる最中で、ここに掲載されている組見本は、ひらがなのみ彫刻母型を使用している

(つづく)

*

※本連載第57・58回については、岩田母型製造所 元社長の髙内一氏に、資料のご提供ならびに取材にご協力いただきました。心より感謝申し上げます。

*

[注]

  1. 橘弘一郎「母型づくりに47年 岩田母型製造所 岩田百蔵氏に聞く」『印刷界』1961年9月号(日本印刷新聞社、1961)P.70
  2. 「活字母型の八十年」『印刷百科辞典』(印刷時報社、1952)P.101
  3. 橘弘一郎「母型づくりに47年 岩田母型製造所 岩田百蔵氏に聞く」『印刷界』1961年9月号(日本印刷新聞社、1961)P.75
  4. 『岩田母型活字書体見本』(岩田母型製造所、1959)P.5
  5. 『岩田母型活字書体見本』(岩田母型製造所、1959)P.3
  6. 筆者による髙内一へのインタビュー(2017年11月27日)より

[参考文献]

  • 『株式会社岩田母型製造所 岩田百蔵回顧録 1920(大正9年)~1960(昭和35年)』(岩田母型製造所/発行年不明)
  • 『活字母型書体標本』(岩田母型製造所、1955)
  • 『岩田母型活字書体見本』(岩田母型製造所、1959)
  • 『印刷百科辞典』(印刷時報社、1952)
  • 『印刷界』1961年9月号(日本印刷新聞社、1961)

筆者プロフィール

雪 朱里 ( ゆき・あかり)

ライター、編集者。

1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『印刷・紙づくりを支えてきた 34人の名工の肖像』『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

編集部から

ときは大正、関東大震災の混乱のさなか、三省堂はベントン母型彫刻機をやっと入手した。この機械は、当時、国立印刷局と築地活版、そして三省堂と日本で3社しかもっていなかった。
その後、昭和初期には漢字の彫刻に着手。「辞典用の活字とは、国語の基本」という教育のもと、「見た目にも麗しく、安定感があり、読みやすい書体」の開発が進んだ。
……ここまでは三省堂の社史を読めばわかること。しかし、それはどんな時代であったか。そこにどんな人と人とのかかわり、会社と会社との関係があったか。その後の「文字」「印刷」「出版」にどのような影響があったか。
文字・印刷などのフィールドで活躍する雪朱里さんが、当時の資料を読み解き、関係者への取材を重ねて見えてきたことを書きつづります。
水曜日(当面は隔週で)の掲載を予定しております。