リキャスト[recast]は日本語教師にとって欠かすことのできない重要なスキルである。リキャストとは、誤った日本語を“さりげなく正しい形に直した返事”である。
学生:お金、おろし、“きんこう”に行きました。
教師:ああ、“おかねをおろしに”“ぎんこう”に行ったんですね。
学生:はい、“きんこう”に行きました。
ここで教師は欠けていた助詞“を”“に”を加え、さらに“きんこう”を“ぎんこう”とさりげなく(暗示的に[implicitly])正しい形にして返事をしている。こうすれば正しい形を聞かせることができ、コミュニケーションの流れを壊すこともない。
では正しい形を聞けば正しい形を習得できるかといえば、そのような保証はない。現に、上記の会話では学生は二度目も“きんこう”と言っていて正しく発音できていない。前回も説明したように、「ぎ」を「ぎ」と聞き取れていないとも考えられるし、聞き取れてはいるが「ぎ」と発音ができないとも考えられるが、そもそも(「ぎ」を「ぎ」と聞き取る能力があるのに)リキャストに気づいていない可能性もある。例えば(王2009)はリキャストに関する研究を概観し、「フィードバック直後に元の発話を修正する」成功アップテイクが18%~70%と、研究により大きく異なること、語彙や音韻のリキャストは気づかれやすく、アップテイクが成功しやすいことなどを指摘している。条件次第ではあるが、リキャストはある程度、成功アップテイクに結びつくということであろう。
リキャストでもより強調されたリキャスト(上述の例では“ぎんこう”を少し強調して発音する、など)のほうが成功アップテイクになる率が高いとも報告されている。また、言語習得研究では、注意が向いていることが大切だということもよく言われる(Schmidt1990など)。心理学には「選択的注意[selective attention]」という概念がある。例えば毎日通っている場所にいつも同じ看板があるのに、改めて注意をして、初めてその看板の存在や内容に気がつくということがある。つまり注意をしていないと、目や耳に入っていても気がつかないということが多い。言語習得にも同じようなことがある。注意が向いていればそれだけ習得されやすいようである。
前回まで、マイノリティ心理に配慮することが重要であることを述べてきた。日本で日本語母語の教師が日本語教育を行う場合には特に重要である。「教師」である上に、「母語話者」という「力」を持っているからである。その配慮として音声や文法ばかりに力を入れるのではなく、自己表現や生活場面の語彙に力を入れることが大切であることを主張した。
目の前ではっきりと(明示的に[explicitly])「“きんこう”ではなくて“ぎんこう”です」という訂正をすることは、仮に言語習得に効果があるとしても、情意的[affective]な面の配慮に欠けていると学習者が委縮する。委縮しないとしても、いちいち訂正をしていたら会話の流れを壊してしまう。そんなときにはリキャストが有効である。こうすれば、仮に習得に結びつかなかったとしても、少なくとも学習者が学習を続ける意欲を壊すことなく、その場の活動に影響を与えることも少ない。そして、うまくいけば学習者が訂正に気づき、習得に結びつくこともある。訂正に気づけば自分が誤ったことに恥ずかしさを感じることはあるかもしれない。それでも、はっきりと訂正されるのに比べれば圧力は小さい。
確かに、リキャストは明示的訂正(はっきり直すこと)に比べて習得の効果が薄いという研究も多い。活動の流れを壊すこともなく、直されて縮むこともなければ明示的に訂正したほうがよいであろう。訂正するかしないか、するならば明示的にするか暗示的にするか、活動の目的を考慮しつつ学習者の表情を見て、瞬時に判断する力が日本語教師には必要なのである。
参考文献
王文賢 (2009) 「第2言語習得におけるリキャストの効果―教室指導に関する研究の概観から―」『日本言語文化研究会論集』5
Schmidt, R. W. (1990). The role of consciousness in second language learning. Applied Linguistics, 11 (2), 129–158.