また、ベトナムの話に戻ろう。講義で話したエビの話については、とにかく、いろいろなものを研究資料とする、と驚いていた。そこでは言わなかったが、日本では、さらに近年、「蝦」と「海老」とを書き分ける意識までが広がりを見せ始めている。こうした字面レベルでのニュアンスの区別を日本人は好む。「海老」では畏れ多いと、ザコエビ(天鰕)の「鰕」(蝦)に代えて用いたと述べる市川家の歌舞伎役者「市川鰕蔵」がすでに江戸時代に存在しており、それについても実は甲府で大きな収穫があった。
ベトナム語は、基本的に単音節語であり、それを表記するためには形声文字がよく適合したため、会意文字は少ない。中国などで鮮卑、壮(チワン 旧称は僮など)など異民族らによる「俗字」に、会意が多いのは、識字量のほかに言語の性質の差異にもよるのだろう。
ベトナム語では、エビをtôm(トム)と呼ぶ。チュノムでは、「」と書かれた。これは、発音に基づく形声と目されるが、ベトナムでは、旁の「心」はエビの姿形をかたどっている、その点々はヒゲだ、エビが好きというベトナム人の心を表している、という解釈も聞かせてくれた。どうも俗解だとは思われるが、旁に意味を見いだそうとする日本人的な発想と共通する。これには「」などの異体字もあった。やはり類似する発音をもつ字を旁にもってきた形声文字だ。また、エビの種類によって別の語もあり、それにもまたチュノムが作られていた。
チュノムは、概して漢字をより複雑化している。表音文字の仮名やハングルとは逆に、構成要素を付すことで、より煩雑なものを生み出していった。部首が意味の範疇ではなく、意味そのものを示す方法もとる。記された漢字やチュノムを音読みさせたいのか訓読みさせたいのか、文字の用法は表意なのか表音なのか、にわかに判然としないものがたくさんある。そしてそうしたものが混用、併用されることが常であり、該当字がいずれであるのか専門家でも判断できないこともあるなど、解読が一定しない状況があるそうだ。
個人の作った文字が、特定の地域で使用されて広まったり、特定の社会や場面に限って現れたりするなど、位相を生む。そして様々な条件を経て、全国共通の文字へと変わっていくものが現れる。そういう演変は、日本ばかりでなく、この地にもあるのではなかろうか。私も、この歴史が深く、長くて広いベトナムでの文字の動態を知りたい。しかし、日本のことだけでも手一杯なので、きっとベトナムの人たち自身の手で、観察、考察に内省を加味してそれを解明してくれるよう、心より希望している。こつこつと調べあげた事象を蓄積していけば、日本との文字の交流の歴史も、今後さらに明らかになることだろう。共通点と相違点を知り合い、互いにもっと理解し合った上で、本当の意味で国同士、人同士が仲良くなれるのでは、と考えている。
質問の時間になった。女優のようにオシャレな女子学生が、「なぜエビだったのか」、また、「ほかの語・字でも同様のことがあるのか?」と至極もっともなことを尋ねてくれた。日本の文字・表記は、ほかの語でも、たいていはドラマチックな変遷を辿ってきたことが、調べていくと浮き彫りになってくる。エビは、元々「蛯」という国字があったので、その用例を採集していた。女子大に勤めたばかりの時に、北海道の室蘭に、学生の引率で初めて行ったときにレストランで見かけ、「おや? なぜ?」と思って撮った写真のころから、気にかかっていた文字だった。
それは他の多くの字とともに眠りについていたのだが、エビちゃんのメディアでの華麗な登場と大活躍をきっかけとし、旧式のカードなどに集めていた情報を、1日あまりで一気にまとめて整理し、そこに文献やアンケートなどで不足を補充したり、表記レベルまで広げては問題点を明確化したりしていったものだった。確かに種々の起伏や交代に富み、それらの原因も各種そろっていて、また現代を示唆する面もある、日本の文字を象徴する1字であった。