当て読みについても聞いてみた。歌謡曲の歌詞に出てきたこれは?
悲観的現実主義者
読み仮名は3字とヒントを出すと、「えー」と意外そうな声が出る。
ニート
男子は元気がある。その答えはどちらかというとむしろ現実逃避が近いか。答えは、
おとな
リアルな中2には、納得のいく読みだったようだ。「的」「主義」という背伸びしたような要素にも、違和感がなさそうだった。続けて、
本気と書いて?
マジ
と男子たちの声。こうしたものの認知や反応には性差がある。「」(エイ フン)に思わず「かわい~」と声を上げていたのは女子であった。
秋桜は?
コスモス
こういう国語では習わないはずの熟字訓も読める生徒たちに感心する。ただ、これを収めた国語教科書もすでにあるそうだ。
月極
「あ~」、体育座りの生徒さんたちからいちいち反応があって活気づくし面白い。「ゲッキュウ」など、子供らしい読みが出た後に、「つきぎめ」というと「へー」と感心された。これも社会生活の中で自然と(恥をかきながら)覚えるものなので、この年代では、知らなくても当然だ。
続けて、料金表などに見られる、
小人
しょうにん
という、辞書どおりの答えが意外と多い。メルヘンチックな「こびと」には笑いが起こる。かつて「小腸」をコチョウ、「小豆」をコマメと読んで笑われたという経験を語る学生たちもいたように、音読みを「こ」と誤読すると幼さが倍増して感じられてしまうのだろう。「小豆島」を熟字訓の知識を活かして「あずきじま」と読んだのに、笑われたのが不本意だという女子もいた。地名としてそれを知らなければ無理もない。
子供時代に顕著な誤字についても尋ねてみよう。
「強・弱」が混ざっている、強いのか弱いのか分からないというこの誤字には笑いが起こる。強い中にもどこか弱さが感じられる字体だ。小学生のころには多い誤字体である。創作漢字のコンテストでは、「からいばり、ふらつく」として現れていた。
これも小学生までは多いが、だんだんと減っていく誤字だ。「鬼」など別の字が干渉し、混同したものであろう。構成要素が転倒するタイプも多い。ひらがなに目立つ鏡文字を卒業した後に通る関門のようだ。
さらに、
沈 就
を書いてもらうと、やはり最終画・最後から2画目がおかしくなってきている。楷書にはなかったぐにゃっとしたストロークが紙上に出現するのだ。もとは「礼」の右の「」でいいはずだが、教科書体、明朝体などで、筆の入りがあるために、字画に錯覚を引き起こしているのだ。指で書いて女子が確認している。硬筆なのに曲がって「乙」のようになる人さえもいる。「ノ」にくっつけなくてはという強迫観念も影響していそうだ。国語の教員になるためには免許が必要だが、こういうことを教わる機会がないというケースも多い。そして、現場で、そういう不自然なカーブを教えるという事態が生じているようだ。体系的ではないというべきか、「概」や「蹴」ではそうならない、いや「枕」でもそうなるなど、個々人の中でその字形が一貫しているわけでもない点も興味深い。私たちが漢字を場当たり的に一つ一つ覚えてきたことがうかがえる。