さる席で、新聞社の方が、「『三省堂国語辞典 第六版』の『敵失』の項目が新しくなっていますね」とほめてくださいました。「ほかの辞書では、野球のエラーのことしか書いてありませんが、『三国』では、それに加えて、政治の場での用例が載っていますね」
鋭い観察眼に敬服します。たしかにそのとおりです。『三国』の「敵失」は、旧版まではほかの辞書の説明とよく似ていましたが、第六版では説明と用例とを修正しました。
〈敵・(相手チーム)の失策。「―で一点・野党にとって かっこうの―」〉
最後の「野党にとって かっこうの敵失」が、政治の場での用例です。新聞の政治記事では「敵失」を使う機会が多いため、『三国』の語釈もご覧いただいたのでしょう。
もっとも、この話が出た席で、私は、「敵失」の修正の経緯についてはうろ覚えで、はっきりしたご説明ができませんでした。せっかく評価していただいたのに、だらしないことおびただしいと言うべきです。
家に帰ってから、改めて確認してみました。政治の場で使う「敵失」の用例は、2007年の参議院選挙の後に拾っていました。当時のアンケート記事で、野党が大勝した原因について〈「勝因は敵失」8割〉(『毎日新聞』2007.8.6 p.3)という見出しが躍っていました。
ただ、「勝因は敵失」という用例を辞書に載せても、政治の世界で使われる例だということが読み手には伝わりません。そこで、改めて「反対党の敵失」という例文を自分で作ってみました。最初の原稿には、この文を使いました。
ところが、よくよく考えると、「反対党の敵失」は日本語として不自然です。反対党というのは敵のことですから、「敵の敵失」となって、ことばが重なっています。
結局、用例は実例に基づくのが一番だと考え直しました。手元の資料から、〈同党にとって本来なら格好の「敵失」のはずだが〉(『朝日新聞』1994.5.7 p.3)という文を選び出し、これをベースに、「野党にとって かっこうの敵失」という用例を作りました。これが決定稿となりました。
辞書の用例は、ことばの説明の後にアクセサリーのように添えるものだと思う人もいるかもしれません。でも、ことばの使用場面などを示す大事なものです。分かりやすく適切な用例を選ぶまでには、けっこう思い悩むものです。