この連載の「その14」でも触れたように、『三省堂国語辞典』では、「デパート」に対する「デバート」など、外来語のなまりの形を示すことがよくあります。「そんな誤った形を書き添えるべきではない」という向きもあるかもしれませんが、現代日本語を映す鏡であろうとする『三国』としては、耳にすることのある語形ならば載せたいと考えます。
それに、なまりイコール誤りとは単純に言えないものです。「キャベツ」だって「ラムネ」だって、それぞれ「キャベージ(cabbage)」「レモネード(lemonade)」が変化したものです。ワイシャツ(white shirt)を着てズボン(フランス語 jupon から?)をはく生活をしているわれわれは、なまった語形から逃れることはできません。
2006年のこと、大学生のレポートに〈〔スケートの〕フィギア〉という語形があるのを発見しました。ワープロの打ち間違いで「フィギュア」の「ュ」を落とした可能性もありますが、本人が「フィギア」だと信じて書いたのかもしれません。
もしやと思い、もっと昔の学生の文章を調べてみると、複数の学生が人形のフィギュアについて書いていました。〈フィギアには私も興味を持っているので〉〈フィギアとは思えないくらい迫力があって〉(いずれも2004年)とあり、やはり、「ュ」のない形です。
学生の文章に限りません。映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見たついでにパンフレット(2007.11.3発行)を買ったら、〈映画に関連したフィギア〉と書いてありました。原稿を書いた人のことばが校正をすり抜けたといったところでしょう。
インターネットで検索してみると、「フィギア」は100万件単位で出てきます。検索結果の数字は必ずしも信用できないのですが、少なくはないと言えます。もっとも、「フィギュア」は、(数字の上では)さらにその20倍ぐらいあるのですが。
私は、「フィギア」の形は、書きことばよりも話しことばで多く使われると考えます。実際に発音してみれば分かりますが、「フィギュア」はたいそう言いにくいのです。おのずと「フィギア」の発音になり、それが書きことばにも表れるのでしょう。
これは、ちょうど「シュミーズ」を「シミーズ」と言ったり、「レジュメ」を「レジメ」と言ったりするのと似ており、理屈に合います。それで、『三国』の第六版では、「フィギュア」の説明の末尾に「フィギア」の語形も入れることにしたのです。