前回取り上げた「うそだよぴょーん」と似ているが、「遊び」の構図がよりはっきり見えるキャラ助詞が、赤塚不二夫氏のマンガ『もーれつア太郎』に登場するニャロメのセリフ、「オレと結婚しろニャロメ!!」などのニャロメことばである。
いつも何かに腹を立てており、二言目には「この野郎め」などとぶつぶつ毒づく、もうそれが口癖になっている人がいる。その人の発音をよく聞いてみると「このやろうめ」ではなく「こんにゃろめ」、いや「くんにゃろめ」、違う「んにゃろめ」、そうだ「にゃろめ」と言っているのだという赤塚氏の発見からニャロメことばは生まれた、というのは私の妄想に過ぎない。ニャロメことばにはたとえばこのような形でもっともらしい来源を想像でき、それはひょっとしたら結構当たっているかもしれないが、たとえそうだとしてもニャロメの発する「ニャロメ」は「この野郎め」のような意味あるフレーズには還元しきれない。犬が「そうだワン」としゃべるように、ニャロメは「そうだニャロメ」と言う。ニャロメだから、つまり『ニャロメ人』だからである。この点をまず押さえておきたい。
さて、ニャロメことばの特徴をはっきりさせるために、第12回で取り上げた『パタリロ!』の一場面を再び持ち出してみよう。この場面では、パタリロは突如ヤクザ姿に変身し、『ヤクザ』キャラで「えらい言われ方やんけ われ」と、相手にいちゃもんをつけるのであった。これは、パタリロがふざけ遊んでいるのである。パタリロという子供はこういうふざけをしょっちゅうやる。だからこそ、パタリロは周囲の人たちから「またおまえは馬鹿なことをする」的な突っ込みを受ける。(たまたまこの場面では、このふざけは取り合われず、無視されているが。)
だが、『もーれつア太郎』の中でニャロメがことあるごとに「~ニャロメ」としゃべるのは、『ニャロメ人』であるニャロメの本来的行動であって、ニャロメ本人にとってみれば遊びなどではない。「ふつう」である。
遊んでいるのは発信者(ニャロメ)ではない。『ニャロメ人』というキャラクタをでっち上げた創造者(赤塚不二夫氏)である。もちろん、パタリロの遊びにしても最終的には創造者(魔夜峰夫氏)によるものだが、直接的にはパタリロ本人の遊びである。ニャロメの場合にはこれがない。
「うそだよぴょーん」というインターネット上の書き込みの場合、書き込み手は発信者と『ぴょーん人』キャラ創造者を兼ねている。発信者としての『ぴょーん人』はあくまで「ふつう」にしゃべっている。遊んでいるのは、そんな『ぴょーん人』キャラをでっち上げた創造者である。
私が『言語』誌上に『もちょ人』として登場し、もちょことばをしゃべったことは前回触れたが、あれも同様である。『もちょ人』としての私はふざけてなどおらず「ふつう」にしゃべっている。そういう『もちょ人』キャラをでっち上げた私がふざけているのである。(『言語』さん、ごめんなさい。)
このように、私たちがその都度その都度、気分しだいで、キャラ助詞をたった一言発するだけで新キャラをいくらでもでっち上げることができるのは、『ニャロメ人』『ぴょーん人』『もちょ人』といった、共同体(ニャロメ国、ぴょーん地方、もちょ星など)に由来するキャラクタである。というのは、共同体は無限にでっち上げることができるからである。
『坊ちゃん』や『いい人』のような、個人に由来するキャラクタの場合、たった一言で新キャラを作りあげることはなかなかむずかしい。せいぜいのところが「あたしもそう思うぜ」のような、既存のキャラ(「あたし」の『女性』キャラと「ぜ」の『男性』キャラ)どうしを組み合わせた複合キャラぐらいである。
これまで個人由来のキャラクタ、共同体由来のキャラクタの類似性を強調してきたが、両者には以上のように違いがないわけではない。