タイプライターに魅せられた男たち・第128回

ジェームズ・デンスモア(21)

筆者:
2014年4月24日
「Remington Type-Writer No.2」(The Type-Writer Magazine, 1878年1月号)

「Remington Type-Writer No.2」(The Type-Writer Magazine, 1878年1月号)

けれども、デンスモアとヨストは、小文字を打てるタイプライターの特許をあきらめませんでした。1878年1月7日、ヨストは、タイプライターに関するイギリス特許を出願しました。イギリス特許は、無審査の先願方式だったことから、ヨストはブルックスに先んじるべく、イギリス特許を出願することにしたのです。すでにE・レミントン&サンズ社では、小文字の打てる「Remington Type-Writer No.2」の生産が開始されていたのですが、それでもデンスモアとヨストは、特許の取得を画策しつづけていたのです。

デンスモアはジェンヌに、「Remington Type-Writer No.2」のアメリカ特許を出願させることにしました。ジェンヌとの契約は、もちろんまだ有効だったので、デンスモアはジェンヌに書かせたアメリカ特許を、タイプ・ライター社を譲渡先として出願することにしたのです。さらにデンスモアは、ジェンヌのアメリカ特許と、ヨストのイギリス特許とを「改良」する形で、ヨストにもアメリカ特許を出願させることにしました。こうすることで、ヨストとタイプ・ライター社は、小文字を打てるタイプライターの特許を、自由に使うことができるようになるはずでした。

デンスモアとヨストは1878年3月、ロック・ヨスト&ベイツ社の持つタイプライター販売権のうち、代理店契約の一部をE&T・フェアバンクス社に売却しました。さらに1878年7月には、ロック・ヨスト&ベイツ社のタイプライター販売権と代理店契約を、全てE&T・フェアバンクス社に売却しました。これにより、デンスモアとヨストは、みずから新たなタイプライターを製造販売するための資金を手に入れました。デンスモアとヨストは、この資金を元手に、E・レミントン&サンズ社とは独立してタイプライターを製造販売するための新たな会社を設立し、社名をアメリカン・ライティング・マシン社と定めました。

1879年6月23日、デンスモアは、「Remington Type-Writer No.2」に関するジェンヌのアメリカ特許と、それを「改良」したヨストのアメリカ特許を、同時に出願しました。特許の譲渡先は、もちろんタイプ・ライター社となっていました。また、1879年8月12日には、ホウ(Elmer Parker Howe)という若手弁理士を代理人として、タイプライターの改行機構に関するジェンヌのアメリカ特許と、それを「改良」するレイク(Vincent Franklin Lake)という人物のアメリカ特許が、同時に出願されています。これらの特許の譲渡先も、やはりタイプ・ライター社でした。

ジェームズ・デンスモア(22)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。