1933年11月6日、カーネギー財団教育基金は、ドボラックに3700ドルの研究費を交付決定しました。『改良されたキー配列を用いたタイピング教育の改良』の研究のためです。ドボラックは、タコマの公立学校に協力を求め、第7年次の生徒たちに、新しいキー配列のタイプライターを使わせる実験をおこないました。その際にドボラックは、メリック(Nellie Louise Merrick)というタイピング教師と知り合い、彼女を研究アシスタントに引きずり込んでいます。また、ドボラックは、この実験において、キー配列をさらに改良しました。具体的には、「Z」を左端から右端に移動し、数字の並びを7531902468としたのです。
この7531902468という数字の並びは、かなり微妙なものです。ドボラックとメリックが書いたタイピング教本によれば、7531を左手で、902468を右手で打つことになっており、左手人差指に数字の中でも使用頻度の高い「1」を、右手人差指にやはり使用頻度の高い「0」を配置したのは、まず間違いありません。ただ、「3」と「9」が人差指に配置されているのは、正直なところ謎です。この改良研究が1933~1934年におこなわれたことから、ドボラックが頻度調査に使った文章の中に、あるいは「1934」や「1933」や「1932」が数多く紛れ込んでいたのかもしれません。
1934年11月8日、カーネギー財団教育基金は、前年度に引き続いて、再度ドボラックに3700ドルの研究費を交付決定しました。ドボラックとメリック、それに加えてディーリーとフォードは、タイピング教育の改良について研究を進め、やがてそれは1冊の本となって結実します。『タイプライティング・ビヘイビア』、それが彼らの本のタイトルでした。『タイプライティング・ビヘイビア』の刊行は、結局1936年にずれこんでしまうのですが、カーネギー財団教育基金での研究成果を、500ページ強に渡って書き連ねたものであり、その後のドボラック式配列の布教において、いわば「聖典」の座を占めることになる本でした。
この時期、ドボラックの下にいた学生は、その多くが、ドボラック式配列の研究に駆り出されました。中でも、シアトル公立学校の教師だったデイビス(Dwight D. W. Davis)は、非常に優秀な大学院生でした。デイビスは、『一般キー配列とドボラック・ディーリー簡素化キー配列における学生の打ち間違いの解析』(An Analysis of Student Errors on the Universal and on the Dvorak-Dealey Simplified Typewriter Keyboard)で、1935年にワシントン大学教育学部の修士号を取得しました。同時にデイビスは、『The Journal of Business Education』誌の1935年5月号から10月号にかけて、「簡素化キー配列の評価」と題する記事(Part I,Part II,Part III,Part IV)を連載しました。従来のQWERTY配列に比べ、さまざまな点でドボラック式配列が優っていることを、世にアピールしたのです。
(オーガスト・ドボラック(4)に続く)