平成の大合併で現在は宮古市になっている,以前の田老町(たろうちょう)に,摂待(せったい)という名の地区があり,三陸鉄道北リアス線「摂待」駅があります。駅前は「摂待野菜直売所」となっていて,すぐ前の国道45号線に向けて「品質最高!!摂待のおいしい野菜いかがですか!!『よっとがんせぇ~!!』(寄ってください)」のメッセージが掲げられています【写真1】。実は駅前というより駅下です。摂待駅付近は高架(駅部分は高い盛り土)の上に位置し,階段で地上に降りるとそこが野菜直売所です【写真2】。
東日本大震災の津波で摂待川の河口水門は完全破壊,海岸から約360m上流の下摂待集落は壊滅し,犠牲者も出ました。重量約143トンの巨石が約450m流されてしまったことはニュースになりました。ただし,直売所のある上摂待地区は無事でした。現在は,農業を基軸に,震災で大損害を受けた漁業の再生にも取り組んでいます。
東日本大震災の被害は,地震や津波のほか,福島第1原子力発電所の事故も深刻な状況です。実は,昭和50年(1975年)に,この摂待地区に原子力発電所建設の話がありました。地元漁業者たちの反対や地区選出の国会議員の意見もあり,結局この話はなくなりました。青森県から茨城県の東日本太平洋側で,原子力発電所または関連施設の存在しないのは岩手県だけですが,こういう経緯でした。もし摂待に原発が…(恐)
今回の方言メッセージは,上で述べた原子力発電所立地や事故のことがなければ,日本の村のどこにでもある,平凡なものとして見られていたことでしょう。この研究でも,国道脇の商業メッセージの一例として扱われていたものです。しかし,大震災のあとは,とても意義深い用例となっています。この方言メッセージが今もなお意味をなしていることはとてもありがたいこととなっています。先人たちがあのとき適切な選択をしたくれたお陰で,今も,ここに野菜が並び,地区の住民の生活が続き,三陸鉄道も復旧し,国道も通行でき,この方言メッセージも活きているのです。今回の資料の取材に訪れた昨年10月に,周囲の山から響いていた狩猟の銃声さえ,この地域に人間の営みが続く証明としてありがたく感じました。
やや色あせているものの,一つの方言メッセージが,これからの社会のあり方や人間の生き方まで私たちに教えてくれる,大切なメッセージとなっていると,私には思えます。