この秋、観光立県をめざす長野県が福岡市を中心に大々的に信州観光のPRを行いました。そのアイテムの一つが福岡市地下鉄の車内釣り広告で使われたポスターです。
これをご覧になって、「おや?」と思われたら、製作者のねらい通りというものです。
「『誘い文句がくるべきところに、なぜ、否定の言い方をしているのだろう』との疑問を出発点に、信州に興味を持っていただきたいとの思いで、じっくり広告を見てもらえる時間のある電車内で、あえてひねった信州弁を使いました」とは、このポスターのコピーを考え出した担当者の方(長野県企画部企画課ブランド推進係)のお話です。
この一見、反対言葉のように感じられる表現ですが、長野県上田市あたりでは、「真田の逆さ言葉」と解説する場合があります。由来は、戦国時代にさかのぼります。甲斐の武田信玄の軍勢に攻め込まれた真田勢は、敵を混乱させるために、わざと反対の言い方をしたというのです。もっともらしい説明ですが、事実は、その当時の一般的な表現が少し形を変えて、使われているのです。
「行きましょう」という誘いかけを、当時は「行かうず」と言いましたが、その「う」が落ちた形で現在もつかわれ続けているわけで、「古語は方言に残る」の典型と言えます。なお、「ず」の語源については、平安朝古文にさかのぼり、「むとす」→「むず」→「んず」→「うず」→「ず」と変化したと考えられています。
ところで、武田信玄のお膝元・甲府市でも「行かず」を使っています。地元の方に、由来を尋ねると、これは「武田の逆さ言葉」といって、武田勢だけにわかるように、わざと反対の言葉を使ったのだと、上田市と同様の説明を受けることがあります。
いずれも、民間語源(言語学的な裏付けを伴わない語源解釈)ということになりますが、そこに込められた地域の人々の思いを読みとることが大切と思われます。
この点について、民間語源の語に変えて「当事者語源」という表現の使用を柴田武氏(言語学者)が提唱されています。
さらに、この一見「逆さ言葉」に見える勧誘表現は、『方言文法全国地図』(国立国語研究所刊)では、長野・山梨から静岡まで、東中部に連続的に分布しています。静岡では、どんな語源説明がなされているか、探りたいものです。