文中に男性名詞と女性名詞が混在する場合、その両方にかかる形容詞は男性形で一致させる、というルールがあるわけですが、どうしてこのようなことになったのでしょうか? フランス語の歴史を遡りながら、紐解いていきましょう。
学生:先生、今日の授業で1つ気になったことがあるのですが……。
先生:ああ、今日やった形容詞の女性形についてかな?
学生:はい、そうです。bon, bonne や blanc, blanche のように、様々な女性形のパターンがあるということは分かったのですが、1つの文の中に形容詞が男性名詞と女性名詞の両方にかかるとき、その形容詞は男性形になる、という話が出てきましたよね。
先生:女性名詞で表しているものがどんなに多くても、男性名詞が1つでもあれば、それにかかる形容詞は男性形になる、というルールのことだね。
学生:ルール自体の仕組みは理解したんですが、なぜ必ず男性形になるのか、と思いまして。
先生:目のつけどころがいいね! 実際、フランス語圏の様々な国で、これはおかしいのではないかという議論があるわけで……。こういうときは、フランス語の歴史に目を向けてみると、いろいろと参考になると思うよ。
学生:またフランス語の歴史ですか……
先生:難しそうに聞こえるかもしれないけど、調べ始めると結構面白いよ。いつから男性形を優先させるようなルールになったのか、というのははっきりとしていないけど[注1]、17世紀の詩人アルシド・ド・サン=モーリス Alcide de Saint-Maurice(生没年不詳)の著書にある記述が最も古いのではないかと言われているんだ[注2]。
le genre masculin, comme le plus noble, l'emporte sur le féminin.
(文法的性の)男性は、威厳のある性として、女性に対して優位性を持っている。
ただ、17世紀から21世紀まで範囲を広げると、実はこのルールをはっきりと記している文法書は少数派なんだよね。
学生:でもそのわりにはルールとしてしっかり定着している感じがありますね。しかし、今の時代、文法的性といえど、男性が女性より優位である、というのも何か引っかかるような気がします。
先生:いくら「便宜上、(文法的性の)男性に合わせる」と言っても、女性に対する明らかな差別であると感じる人は少なくない。フェミニズム運動が盛んになってきた1970年代から、とくにカナダでは男性優位なルールを是正しようとする人が増えてきたという時代背景があったんだ[注3]。
学生:ただ、それでこのルールが変更されることはなかったのですね。
先生:この論争は未だ終わりが見えていない状態だけど、16世紀までのフランス語では比較的適用されていた「近接性の原則」règle de proximité を復活させてはどうか、と提案する識者もいるよ。
学生:「近接性の原則」……? 例えば形容詞により近い位置にある名詞の性で一致させる、ということですか?
先生:まさしくそういうことだね。例えばアグリッパ・ドービニェ Agrippa d'Aubigné (1552-1630) は、16世紀後半のユグノー戦争の頃に書いたテクストで « bras et mains innocentes »「無垢な腕と手」という表現を使っている。ここでは男性名詞の bras より女性名詞の mains が形容詞に近い位置にあるので、形容詞は mains に一致して女性形になっているというわけだね[注4]。
学生:近接する名詞の性にだけ注目すればいいわけですから、フランス語を学習している身からすると、こっちの方が楽ですね。
先生:そうだね。ただ、実生活ではフランスの社会でも歴史的に男性が女性に対して優位だったので、文法の面でも男性形が優遇されることになったんだろうね。17世紀の文法家ヴォージュラ Vaugelas がこんなことを書いているよ[注5]。
le genre masculin, étant le plus noble, doit prédominer toutes les fois que le masculin et le féminin se trouvent ensemble.
(文法的性の)男性は女性より高貴であるので、男性と女性が一緒に使用されているときは、常に男性が優位に立たなければならない。
学生:17世紀ごろから、文法的性の男性の優位が定着していくのでしょうか。
先生:近年まで多くの著書や論文でそう主張されてきて、アカデミー・フランセーズが文法的性における男性優位の法則を広めた、という考えが一般的だったんだけど[注6]、17世紀以前も男性形で一致する場合が多かったという説もあるんだ。最近出た論文では、中期フランス語で書かれた14世紀から16世紀までのテクストを249分析した結果、男性形で一致するケースが半数以上あるということが指摘されているよ[注7]。
学生:文法的性における男性の優位がいつごろから定着したのかについては、諸説あって結論が出ていないんですね。
先生:先ほどの論文も、中期フランス語のテクストのみを対象にしているから、さらに古いフランス語のコーパスを対象に調査する必要も出てくるね。
学生:そうすると、古フランス語の前、例えばラテン語まで遡ることもできそうですね。
先生:古典ラテン語でも「近接性の原則」はあったけど、傾向として付加形容詞のときにこの原則が適用されたようなんだ。
学生:付加形容詞というのは、先ほどの « bras et mains innocentes » に見られるような形容詞ですね。
先生:そう。逆に、形容詞が属詞である場合は、古典ラテン語でも男性形で一致する傾向が強かった。
学生:なるほど。フランス語に置き換えてみると、« Les bras et les mains sont innocents. » と言っているようなものですね[注8]。
先生:もともとラテン語にあった文法的性の男性優位のルールが、古フランス語や中期フランス語に伝わって、最終的に17世紀以降に「近接性の原則」をなくすまでに広まった、ということだね。このように、「近接性の原則」はほとんど採用されないまま時が流れていくんだけど、19世紀後半からは、社会のあらゆる層に向けたフランス語教育を広く推し進めていく必要がある中、明確な規則が求められるようになって、教科書の中で男性形で一致するというルールに関する記述が増える。当時の文法家のベシュレル Louis=Nicolas Bescherelle (1802-1883) は、そのルールについてこう言及している[注9]。
quand il y a plusieurs substantifs de différents genres, l’adjectif se met au masculin pluriel.
異なる性の複数の名詞がある場合、形容詞は男性複数形で一致する。
ベシュレルはそのときの男性名詞と女性名詞の順番に関する指摘もしていて、例えば « Cet acteur joue avec un goût et une noblesse parfaits » という風に書くのではなく、« Cet acteur joue avec une noblesse et un goût parfaits »「この俳優は非の打ち所のない気高さとセンスで演じている」と書くことを推奨している。
学生:これは、女性名詞の noblesse が男性形の形容詞 parfaits と隣り合わないようにするべきだ、と言いたいのですね。
先生:そう。これもある意味「近接性の原則」の名残で、noblesse と parfaits が続くのを嫌ったのではないかと思われる。そして19世紀や20世紀にフランスの小学校や中学校で使われていた教科書を見てみると、17世紀の劇作家ラシーヌ Jean Racine (1639-1699) の « Armez-vous d'un courage et d'une foi nouvelle »「新たなる勇気と信仰でもって、己を武装しなさい」というセリフを引用して例外的に「近接性の原則」が適用される、という説明がされていることが分かる[注10]。。
学生:例外的であるということは、19世紀から20世紀にかけて男性形で一致するというルールが確実に普及していったということでしょうか。
先生:これは推測になるけど、恐らくフランスにおいて学校に通う人口が増えていくにつれて、広まっていったと考えられるね。
[注]