第18回に続き、『師範学校 小学試験成規』(明治8年)に掲載された問題を見ていきます。
書取は、教師が口頭で2回繰り返す言葉を石盤(ハンディタイプの黒板)に綴り、更に紙に清書します。第七級(小学1年後期)では、以下の漢字が書けなくてはいけません。
(1)着物 (2)襦袢 (3)牽牛花 (4)栄螺
『小学入門』の単語図からの出題ですが、今では読むことさえ難しい漢字があります。「襦袢」は和装の下に着る「ジュバン」です。「アサガホ」は「牽牛花」、「サザエ」は「栄螺」と当て字で書くように指導されていました。
第五級(小学2年後期)からは、書取がなくなり作文となります。当時の作文指導は、特に低い級では、課題に対し形式的な文例を学ぶことに終始していました。例えば第五級の出題例と模範解答は次の通りです。
例題「小学校」
答え「士民一般幼稚ノトキヨリ勉励シテ、普通学科ヲ修ムル所ナリ」
作文の教授法はすべてこの調子で、ある時「教師」をテーマに作らせたところ、「教師は骨と皮にて作り、人を教ふる道具なり」と書いて名文と褒められた、などといったエピソードが残されています。作文では、このように子どもの個性も独創性も必要とされませんでしたが、これは次の問答でも同様です。
問答は、質問されたことに口頭で答えるのですが、第八級(小学1年前期)では単語図の中から三つ選び(例示は時計・着物・雁(がん))、その性質と用法を質問しています。それぞれ、
「時計は金銀等にて拵(こしら)へ大小種々あり 長針短針 又秒を計る針あり みな時を計る器なり」
「着物は衣服の総名にて絹、木綿、麻等の反物を裁縫し人の着る物なり 其製長短各種あり」
「雁は水禽の類にて秋は北より来たり 春は北へ去る 寒を好むものなり」
(『師範学校改正小学教授方法』明治9年より)
などと答えれば、合格でしょう。
第七級は、「下等小学教則」(明治6年 師範学校制定)で定められた「色ノ図」「人体ノ部分」「通常物(日常問題)」からの出題です。色に関する問題2問は、茶色とカナリア色のカードを見せてそれぞれ何色かを問います。当時は、色図を使い40色以上の名称を覚えさせられました。人体に関する問題2問は、人体図上か、教師が自らの手と眉間を指し、その名称を問います。通常物2問は、男女別に出題され、男児には、一里の丁(町)数と八畳敷きの坪数、女児には、布絹一匹の尺数と昼夜の時間などが質問されます。一つ間違えるごとに2点半ずつ減点です。
最後に習字ですが、第八級は仮名文字、第七級から第三級までは漢字楷書、第二級からは手紙文を草書体で書きます。
こういった難度の高い暗記重視の試験が、時には官員や町村の名士らの立会いの下、厳正に行われました。無事に及第した生徒には、わざわざ官員が出張の上、卒業証書を与え、優秀な子どもには賞状や賞品を贈る決まりになっていました。勉強好きな上昇志向の強い子どもは誉れと喜ぶその一方、教室の席次や名札まで成績順で決められるなど、不得意な子どもにとっては何かと負担が大きなものでした。