人名用漢字の新字旧字

第94回 「彗」と「彗」

筆者:
2015年9月3日
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旧字の「彗」は人名用漢字なので子供の名づけに使えるのですが、新字の「」(右図参照)は子供の名づけに使えません。「彗」は出生届に書いてOKだけど、「」はダメ。「慧」と「とは逆ですね。どうして、こんな変なことになっているのでしょう。

平成元年2月13日に発足した民事行政審議会の主要な議題は、戸籍に書かれている漢字の扱いに関してでした。子供の名づけに使う漢字だけでなく、姓に使われている漢字も、審議の対象だったのです。民事行政審議会の意見は、公簿である戸籍には正字を用いるべきであり、誤字や俗字が書かれている場合はこれをできる限り解消すべきだ、というものでした。名だけでなく姓に関しても、戸籍に書かれた誤字や俗字は原則として正字に改めるべきだ、という意見だったのです。ただし、ここで言う正字は常用漢字や人名用漢字であり、それ以外の字種については漢和辞典で正字とされているもの、というのが、民事行政審議会の考えでした。

また、この時の民事行政審議会では、人名用漢字の追加も議論されました。法務省民事局が全国の市区町村を対象におこなった調査(昭和63年5月)で、200以上の漢字が人名用漢字の追加候補として挙がっていました。ハレー彗星、ブラッドフィールド彗星(C/1987 P1)、ボレリー彗星、マックノート彗星(C/1987 U3)と続いたせいか、追加候補には旧字の「彗」も含まれていて、平成元年9月25日の審議会資料では、人名用漢字に追加すべき漢字の第40位となっていました。ただ、人名用漢字である新字の「慧」との字体差をどうすべきか、という点が問題として残りました。新字の「慧」と字体を合わせるなら、旧字の「彗」ではなく、新字の「」を人名用漢字にすべきだ、ということになります。民事行政審議会は平成元年11月2日、人名用漢字追加候補118字に対し、それぞれを「康熙字典体」と比較し、新字の「」ではなく、旧字の「彗」の方を、人名用漢字の追加候補として採用することを決定しました。

民事行政審議会は平成2年1月16日、新たに人名用漢字に追加すべき漢字として、この118字を法務大臣に答申しました。平成2年3月1日、戸籍法施行規則は改正され、旧字の「彗」を含む118字は全て人名用漢字になりました(平成2年4月1日施行)。それが現在も続いていて、旧字の「彗」は出生届に書いてOKですが、新字の「」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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