前回記した中国での「圓」から「元」への転化は、中国の漢字の状況を端的に表している。また、「園」という字は、やはり「元」と字音が通じるものであり、簡体字としては「囗」の中に「元」を収めた「园:」を採用している(第15回「幼稚園」参照)。字の造り方や字画の省き方に、発音を軸とした一貫性を見出すことができよう。
中国に滞在していると、クシャクシャになった古い人民元のお札や、かなり低額な貨幣も手元に回ってくることがある。それらには、前回記したとおり、「圆:(圓)」や「元」がこともなげに印刷されたり刻印されたりしている。日本では、お金を改めて凝視することはほとんどないが、中国では、偽札を見抜こうとする努力が日常、お店のカウンターでなされている。しかし、貨幣や紙幣になおも見られるそうした表記の揺れについては気にされることはないようだ。
その語の意味よりも、むしろその語の発音に着目して文字を選び、語を表記することが存外多いのである。書きことばにおいて最も使用頻度数の高い「的」(de)でさえも実は当て字だったものである。こうした点からも、中国語では、表音という機能が漢字の役割として意外に重視されてきた、ということがうかがえる。木簡さらには甲骨文字の文章などでも、想像を超えるほどの、同音・類音字を通用させた仮借(かしゃ)表記がなされているのである。それを、中国での漢字の一つの本質であったとまでみなすのはいきすぎであろうか。
香港ドル(HK$)や台湾ドル(NT$:ニュー台湾ドル)は、政治的、文化的な問題から、繁体字を使用しつづけているために、貨幣単位としては「圓」と表記される。しかし、日常生活の中ではやはり簡易な「元」とも記されている。台湾でも、手書きでは簡体字と共通する略字がしばしば用いられているのが実態である。確かに「臺灣」と書いてばかりもいられないのであろう。しかし国語の試験では、略字を書くと国語の教員に減点をされてしまうとのことだ。
香港では、お札での表記が「圓」から「元」に変わってきたようだ。前回述べた記号化と同様の現象が、中国本土に次いで起こっているのである。いずれの国や地域でも、高頻度で煩雑なものは、神が作りだし王が使ったかの遥かな歴史をもつ文字であっても、社会生活を営む人間の手で、簡便な形に次第に変えられる。そういう過程を経ることで、いっそう多くの人々へと、文字は近づいてきたのである。
中国に返還された現在でも、一国二制度が保たれている香港では、「圓」の代わりに「蚊」 (man マン)と書かれる語も通用している。実際に、これを香港の地で目にしたが、多くの方言文字とともに日常生活の中に、あまりにも溶け込んでいて、当地でそれを見つけても、不思議と違和感はなかった。日本に住む人ならば、貨幣の単位を、虫の「カ」を意味する「蚊」と書くことはなぜか、と感じないだろうか。それが、地元では別におかしいとも思われていないようだ(本字は「文」とのこと)。香港に移り住んで長い方も、「そう言われてみれば、なんでかな」と首をかしげるくらいだった。中国語の一つの方言たる広東語でも、やはりこの漢字では意味よりも音が重視されたようだ。