「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン

第60回 おわりに――年表の一項目にこめられた、はかりしれない舞台裏

筆者:
2020年11月25日

 

三省堂の初号活字(三省堂印刷所蔵、2018年撮影)

三省堂の初号活字(三省堂印刷所蔵、2018年撮影)

 

「活字は、かつてそのおおもととなる種字を職人が原寸・左右逆字で1本ずつ彫刻していた。終戦後の1948年(昭和23)、津上製作所により国産ベントン彫刻機が開発され、機械による母型彫刻が普及していった」

 

活字の歴史を調べると、たいていこうした記述に出会った。私自身、手彫りの種字から母型をつくっていたものが機械化され、効率よく生産されるようになったのだとおもっていた。しかし国産ベントン彫刻機の開発・普及があたえた影響は、単に「活版工程の機械化」ということではないのではないか。そうおもいはじめたことが、本連載のきっかけとなった。

 

年表では「国産ベントン彫刻機開発」という1行で済まされていたことのなかに、どれだけのひとびとのつながりと奔走があったのか。それに気づくきっかけをくれたのは、もと三省堂で書体設計を手がけていた杉本幸治さんとの出会いだった。2009年、書体デザインについてインタビューする機会にめぐまれたのだ。三省堂時代の仕事について聞くなかで、杉本さんは、「参考に」と一部のコピー資料を渡してくれた。「昭和三十年十月調製 三省堂歴史資料(二)」と表紙に書かれた、もとはガリ版刷りだったとおもわれる資料だった。そこには、のちに社史『三省堂の百年』(三省堂、1982)に収録される亀井寅雄「三省堂の印刷工場」、今井直一「蒲田工場の建設」「我が社の活字」がおさめられ、同社がいかにしてアメリカでベントン彫刻機を入手したのか、それを使いこなすための苦労などがつづられていた。

 

さらに2013年、知人の紹介で、三省堂で母型彫刻にたずさわったのち、日本語パンチ母型の開発に成功して独立した細谷敏治さんに会う機会にめぐまれた。細谷さんは、大日本印刷が国産ベントン彫刻機を設計するために三省堂の工場でATF社製の機械をスケッチした際、その場に立ち会い、その後、大日本印刷の依頼で津上製作所が同機を開発する際にも助言をしたひとだった。戦時中、たいせつなベントン彫刻機を戦火から守るために託された任務、今井直一氏や大日本印刷、津上製作所とのやりとりなど、すごい話がつぎつぎと飛び出してきた。そして細谷さんは、ぎっしりと書き込まれた大学ノートを見せてくれた。いずれパンチ母型のことを本にしたいとおもい、書きためていたものだ、と。しかしすでに印刷の主流がオフセット印刷にかわってひさしく、「だれも読んでくれない……」。そしてベントン彫刻機や母型の話に興味をしめした私に、そのノートを貸してくれた。

 

ベントン彫刻機で製作した三省堂の彫刻母型(三省堂印刷所蔵、2018年撮影)

ベントン彫刻機で製作した三省堂の彫刻母型(三省堂印刷所蔵、2018年撮影)

 

杉本幸治さんからのガリ版刷りの社内史料、細谷敏治さんの手書きのノート、そして社史『三省堂の百年』。これらをあわせて読み、「辞書」という大量の活字が必要とされる現場で、うつくしい活字を印刷するために奔走したひとびとのことを知った。もと毎日新聞社の小塚昌彦さんと鈴木秀男さん、大日本印刷の小野秀さん、岩田母型製造所の髙内一さんなど、当時のことを知るかたにお話を聞き、当時のことが書かれた書籍や、『印刷雑誌』などの記事を読むにつれ、だんだんと、ベントン彫刻機の導入によって「書体設計」「書体デザイン」という概念が生まれたことが見えてきた。

 

杉本幸治さんは2011年、細谷敏治さんは2016年に亡くなっていた。おふたりに託されたというおもいもあった。三省堂とベントン彫刻機にまつわる現場とひとびとのことをどうしても書きたいとかんがえ、三省堂をたずねたのが2017年秋のことだ。かくして準備期間を経て、2018年8月から、本連載をスタートすることができた。

 

*

 

快くこの連載の場を提供くださった三省堂の方々に、最後にあらためて御礼申し上げます。数年にわたり私が胸のなかでくすぶらせていた「このテーマで書きたい」という思いを受けとめ、調査に協力し、伴走してくださいました。そして、約2年のあいだお読みくださった読者の方々にも、心から御礼申し上げます。SNSなどを通じて鋭い質問をいくつもいただき、それもまた、筆を進める際の貴重な助言となりました。ありがとうございました。

 

そして最後に、お知らせがあります。本連載が来年、三省堂より書籍として刊行されることになりました。書籍化にあたっては、連載を進めるなかであらたにわかったことを加筆し、また、三省堂の文字づくりにたずさわった人のことなど、書き下ろしも加える予定です。

 

来年また、みなさまに晴れ晴れとしたご報告ができるよう、準備を進めてまいります。楽しみにお待ちいただければ幸いです。

筆者プロフィール

雪 朱里 ( ゆき・あかり)

ライター、編集者。

1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『印刷・紙づくりを支えてきた 34人の名工の肖像』『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

編集部から

ときは大正、関東大震災の混乱のさなか、三省堂はベントン母型彫刻機をやっと入手した。この機械は、当時、国立印刷局と築地活版、そして三省堂と日本で3社しかもっていなかった。
その後、昭和初期には漢字の彫刻に着手。「辞典用の活字とは、国語の基本」という教育のもと、「見た目にも麗しく、安定感があり、読みやすい書体」の開発が進んだ。
……ここまでは三省堂の社史を読めばわかること。しかし、それはどんな時代であったか。そこにどんな人と人とのかかわり、会社と会社との関係があったか。その後の「文字」「印刷」「出版」にどのような影響があったか。
文字・印刷などのフィールドで活躍する雪朱里さんが、当時の資料を読み解き、関係者への取材を重ねて見えてきたことを書きつづります。

本連載はこのたび最終回を迎えました。来春、書き下ろしや連載していくなかでわかったことなどを加えて、三省堂より書籍として刊行を予定しております。ご期待ください。