日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第36回 『ニセ者』について

筆者:
2013年6月9日

表現キャラクタといってもキャラクタの一種である以上,キャラクタについて述べてきたことは表現キャラクタについても当てはまる。それは「自分を取り繕おうとする意図が露見してしまうと,台無し」ということである。

谷崎潤一郎『細雪』(中巻,1947)の二つの例を振り返れば,かつて自分が奉公していた店の娘の家が洪水に見舞われたからといって,一番に見舞いに駆けつけ,娘や家族の無事な姿に安堵して涙ながらに「よろしゅうございましたなあ」と言ったとしても,その声が「平素から口数の多い,表情たっぷりな物云いをする男」の「わざと鼻を詰まらせたような作り声」だとすれば,それは『忠義者』ではなく,『ニセ忠義者』の自己満足でしかないのであった(本編第18回)。

また,たとえ名家の「坊っちゃん」であることが事実だとしても,相手にそう感じさせようと,いかにも「坊っちゃん」らしく余裕ある様子でゆっくりゆっくりしゃべっていると,キャラクタとしては『坊っちゃん』ではなく『ニセ坊っちゃん』でしかないのであった(本編第3回)。この場合は,「自分を取り繕うとする意図」とまでいかず,「自分がどう思われるかを意識し,それを良しとしている様子」が露見して台無しになっている例と言うべきかもしれない。

このような「意図」ないし「意識」の露見を言い立てて『ニセ者』と告発する手が,日本語社会にはいろいろとある。たとえば「~ぶる」「~気取り」「~づらをする」について,インターネットの実例(1)(2)(3)を見てみよう。(最終確認日はいずれも2013年5月29日。)

(1) 表向きはいい人ぶって裏で私をいじめるスポ少のお母さん

[//kijyomatome.com/archives/28267222.html]

(2) 美食家気取りの友人に冷凍炒飯出した結果wwww

[//sonicch.com/archives/24844428.html]

(3) シリーズ「座って呑む」 (再訪)古いが老舗づらしてないのがいい

[//tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13000879/dtlrvwlst/1398144/]

まず,(1)で「いい人ぶって」いるスポーツ少年団の母親は,『いい人』ではなく『ニセいい人』であって,少し後では「意地悪さん」とも言われている。また,(2)の「美食家気取り」の友人は,高級品と偽って出された冷凍炒飯を絶賛して底が割れてしまった『ニセ美食家』である。そして,(3)は料理屋を褒めた文だが,その理由は「老舗づらしてない」ということで,たとえ事実は歴史の古い老舗であっても,「老舗づらして」いると,キャラクタとしては風格を取り繕う『ニセ老舗』でしかない。ここでは,なるだけおだやかな例を選んだが,「意図」や「意識」を露見させている人や店に対して,我々がもっと強い敵意を持つことも珍しくない。

「~づら」と似た「~顔」がよく出てくるのが幸田露伴の『五重塔』である。ここでは「意図」や「意識」の露見が,「~顔」というさまざまな合成語によって鋭く告発され,『ニセ者』の否定的なイメージがかもし出されている。

まず,「働き顔」の例(4)を見てみよう。

(4) 働き顔に上人の高徳を演(の)べ説き聞かし富豪を慫慂(すす)めて喜捨せしむる信徒もあり,……

[幸田露伴『五重塔』1892]

寺の建立のため「富豪に対して上人様の徳の高さを述べ,寄付させる信徒」とだけ聞けば,『信心一筋の敬虔で慎み深い信徒』のイメージが浮かぶかもしれない。だが,そうしたイメージは冒頭の「働き顔に」という一言で見事に排除されている。「敬虔な信徒が熱心に働く図。ワシって,上人様のために献身的に働いてるんだもんネ」といった自慢げなきもちが顔に見えてしまっている信徒たちは,『ニセ者』でしかない。なに,思い過ごしではないかって? いやいや,信徒たちの俗人ぶりは,すぐ後に続く「先を争ひ財を投じて」「我一番に」布施をして来世を良いものにしようと,などの表現からも明らかである。そういう俗人が上人様のために働くと,つい「働き顔」になってしまうのである。

次は「理屈顔」の例(5)である。

(5) 十兵衞庫裡にまはりて復案内を請(こ)へば,用人為右衛門仔細(しさい)らしき理屈顔して立出て,……

[幸田露伴『五重塔』1892]

これは,寺を訪れ,取り次ぎを乞う十兵衛という大工の声に,寺の使用人・為右衛門(ためえもん)が現れる場面である。為右衛門が「ワシは『ものの理屈をわきまえた者』だもんネ」という,仔細らしい「理屈顔」で現れた時点で,こいつは『ものの理屈をわきまえた者』ぶった『ニセ者』だと察しがついてしまう読者は少なくないのではないか。実際,為右衛門は十兵衛の粗末な身なりを「ぢろりと」頭から足先まで「睨(ね)め下(おろ)し」,上人様に会わせてほしいという十兵衛の切実な願いを聞き入れない。内容によってはワシが取り計らってやるから用件を言ってみろと,「然(さ)も然(さ)も万事心得た用人めかせる才物ぶり」,つまり万事心得た使用人「めいている」のではなく,意図的に「めかせる」,取り繕っていると描かれ,化けの皮をはがされている。

最後に「誇り顔」の例(6)を挙げる。

(6) 自分が主(しゅ)でもない癖に自己(おの)の葉色(はいろ)を際立(きわだ)てて異(かわ)つた風を誇顔(ほこりが)の寄生木(やどりぎ)は十兵衞の虫が好かぬ

[幸田露伴『五重塔』1892]

これは十兵衛が,「五重塔を建てるのを手伝ってくれないか」という親分格の大工・源太からの温情ある誘いを断った理由を女房に述べている場面である。五重塔を作らせてもらうなら全部十兵衛流でなければ気が済まないというのがその理由で,ここで「虫が好かぬ」と否定されているのは,源太流の五重塔の中に雰囲気の異なる十兵衛流の部分を作って「誇顔」つまり得意顔になっている仮想上の自分である。

「~顔」がしばしば否定的なニュアンスを持つということは,『五重塔』に限ったことではない。たとえば次の(7)を見られたい。

(7) a. 機長からの相談に,さっそく,事情を心得ているらしい数名が進み出た。
b. 機長からの相談に,さっそく,心得顔の数名が進み出た。

機長からの相談に応じる,(7a)の「事情を心得ているらしい」数名はいかにも頼もしい。だが,(7b)の「心得顔」の数名は,本当に大丈夫だろうかという読者の危惧を生むだろう。というのは,彼らはやがて馬脚を表す,つまり失敗するというのが,物語のパターンというものだからである。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。