『上品な女』キャラが自身の思考を述べる際,「それでわたくしも,これはちょっとあぶないぞって思いましたの」はセーフだが,「それでわたくしも,これはちょっとあぶないぜって思いましたの」はアウトといった話をしていた(前回)。ここで「ぞ」と「ぜ」について,少し一般的な話をしておく。
たとえば「明日は雨なのぞ?」「明日は雨ぜ?」などとは言わないように,問いかけの発話には「ぞ」も「ぜ」も現れない。これらは基本的にものを問う際のことばではなく,ものを教える際のことばである。また,「ぞ」は『格が高い者』のことばであり,「ぜ」は『下品な男』のことばである。格が高いという「ぞ」の特徴は,これが『男』のことばであることを含意するが(本編第64回),「ぜ」はもっとはっきりと『男』を主張する。それが「あぶないぞって思いましたの」「あぶないぜって思いましたの」の違いである。
そして重要なことは,「ものを教える」という発話行為は『下品な男』よりも『格が高い者』に似つかわしいということで,つまり「ぞ」は「ぜ」以上に「ものを教える」という発話行為にこだわる。たとえば,「なるほど。確かに,言われてみればその通りだぜ」とは言いやすいが「なるほど。確かに,言われてみればその通りだぞ」とは言いにくいように,納得して相手を認める発話に「ぜ」が現れやすい一方「ぞ」が現れにくいのは,その発話が「ものを教える」発話から離れているからである。
このような「ぞ」と「ぜ」の違いは,他のことばとの結びつき具合にも反映される。たとえば, 「声が高い。内密の話であるぞ」は自然なのに「声が高い。内密の話であるぜ」が不自然なように,「である」と「ぜ」が結びつかないのは,「ぜ」の『下品』さが「である」と合わないということである。
また,たとえば「おおかたそんなところだろうぜ」が自然な一方で「おおかたそんなところだろうぞ」が自然なのは,「ものを教える」という「ぞ」の態度が「だろう」というその場での推量と合わないということである。
但し「だろう」を「だろ」に縮約すると「ぜ」の方も「おおかたそんなところだろぜ」のように不自然になる。このように「だろ」と「ぜ」が結びつかないのは,「だろ」の『子供』っぽさが「ぜ」の『男』と合わないということであり,これはそもそも『子供』のことばには『男』『女』の違いがないからである(本編第68回)。
ことばの上で『男』『女』の違いがないのは『子供』だけでなく,『老人』も同様であった(本編第68回)。そしてたとえば,「必ず行くのじゃぞ」が自然であるように「じゃ」と「ぞ」が結びつく一方で,「必ず行くのじゃぜ」がおかしく「じゃ」と「ぜ」が結びつかないのは,『老人』のことば「じゃ」と『男』の「ぜ」が合わないということである。
いま述べた「だろ」のような『子供』っぽいことばさえ現れなければ,たとえば「うちのパパ,社長なんだぞ」のように,「ぞ」は『子供』が発することもできるが,それは「どうだすごいだろう」という子供ながらの「上から目線」の 自慢であり,「ものを教える」発話とつながっている。
この『子供』の「ぞ」が典型的な「ぞ」(格が本当に高い者の「ぞ」)ではないということは,これがしばしば「ゾ」のようにカタカナで表記されることに現れている。冒頭でも触れた「これはちょっとあぶないぞって思いましたの」のような,『上品な女』が自身の思考を引用する際に現れる「ぞ」は,カタカナの「ゾ」にすると上品さがなくなってしまうが,代わりにかわいさが出てくるとも言える。つまり「もぉ~,怒っちゃうゾ。ぷんぷん」のような「ゾ」,男のすなる「ぞ」発話といふものを,という『少女』の「ゾ」である。
あっ,『少女』というのはあくまでキャラクタの話です。実年齢ではありません。周囲に受け入れられる自信のある方は,幾つになられてもご随意にどうぞ。