直接引用の制約について話を進める中で、キャラクタの「品」(第57回)と「格」(第58回・第59回)が相次いで登場した。両者とも、厳密に定義することはかんたんにはいかないが、日本語のキャラクタとことばを考える際に両者の区別はきわめて重要と思われるので、ここで両者の違いについて、なるだけ具体的な説明を添えておきたい。
「格」とは、経験や力や地位などから総合的に醸し出されるものである。格上の上にはまた格上がいる。その格上の格上の格上、そこからさらにかけ離れた格上に鎮座ましましていらっしゃるのが『神』である。ここで『神』というのが、惚れた腫れたの大騒ぎを繰り返す神話の中の神々ではなく、どこまでもおごそかな神のキャラクタを指すということは、これまで(第58回)と同様である。
こういう『神』は下品ではない。かといって上品というのも何だかしっくり来ない。「品」とは何よりも巷の人間に想定される概念である。当該社会が課す文化的制約から逸脱せず、その中に大人しく、慎み深く、控えめにおさまるが、その行動はあくまで自由で美しく見え、制約を感じさせない、というのが上品で、そうでないのが下品である。
「うぇー」と大声で驚いたらガタ落ちになる、驚くなら「おや」「あら」などと小声の下降調イントネーション(第26回)で驚くべし、というのは品の問題である。「うぇー」だけでなく、「おや」「あら」などと驚いても『神』ならガタ落ちで、そもそも驚くことじたいアウトというのが格の問題である。「げっへへ」と笑うのは悪いが「ふふふ」ならいいというのは品の問題で、そもそも笑うのはおごそかな『神』としてどうかというのは格の問題である。
つまり驚き方や笑い方という行動のやり方は品の問題であり、驚くこと、笑うことという行動それじたいは格の問題である。これに対して、文末の終助詞はこの両方に関わる。文末で終助詞「よ」を付けたりすると致命傷だ、『神』や、ゴルゴ13のような重厚な人物や、しかつめらしい顔でニュースを読み上げるアナウンサーは文末に「よ」を付けた瞬間にキャラクタが崩壊するというのは格の問題である。「よ」は悪くないが「ぜ」は悪い、はしたないというのは品の問題である。
『子供』はまず低いだろうと思えるのが格であり、『子供』も『深窓令嬢』から『小マダム』まで(第24回・第25回)、いろいろだと思われるのが品である。
文化的制約を破りはしないが、のびのびとした自由さが感じられず、どこかぎこちないという点で品がさほど高くない、格もあまりない、という品・格ともに中クラスの人間が『いい人』キャラなのかもしれない。