いやーこわかったなー昨日の横井さん。え、知らないの? ほら、確信犯問題研究会ってあるでしょう。あれが昨日あって。で、「左翼青年の転向ないしは偽装転向が」みたいな話、鷲尾さんとかがやってたわけ。したら、いきなり「もともと、わたしは正木検事にさそわれて、この研究会に加わった」なんて言うわけ。横井さんが。いや、だから、そのまさかですよ。ホント。
そう、あの人。「わしゃ、昔、アカでなあ」とか、「お前、なんでこんなアホなことをやったんや」とか、大阪弁まる出しの人。初犯とか、みんな不起訴にしちゃって。「庶民派!」みたいな。それがもう東京弁てゆーか共通語でガンガン来たから。ホント。「学問と研究の崇高性はいったいどこにあるのか」とか。「いったい何を知りたいとあなたは思っておられるのか」とか。いや、ホントだって。とりあえず研究会、強引に締めたけど、いやーマジびびったなー。
なるほどね。してみると、大阪弁の横井さんは「偽装」だったってことか。出身はたしかに大阪だけど、実は気質的には共通語の方がラクなニセ『関西人』で、職場ではめんどくさいから『関西人』で通していたのが、研究会でマジになって、ついってこと? いや、実は確信犯だったりしてね。『関西人』はそろそろ飽きてきたから、仮面を脱ぎ捨ててカミングアウトする機会をねらってたという。しかしそれだと横井さんはこれからずっと共通語か。ちょっと気味悪いなー。
あるいはさ。別にこれまで「偽装」してたわけじゃないけど、共通語が横行する学問談義に熱中するあまり、大阪弁をしゃべるはずが忘れてしまって、いつもの横井じゃなくなってしまいました、みたいな線も考えられるね。「初犯やがな。見逃してぇな」とか言ってきたりして。それも気持ち悪いね。
どうなんだろうね。いっそ、横井検事の供述調書でもとろうか。しかし、今日はどんな顔で来るんだろうね。僕なら開口一番、「なーんちゃって」って叫んで、いつもの横井検事風に振る舞うね。なるほど、昨日の発言は内容もふくめて全部冗談にしちゃうという手もアリかもね。しかしそれを言うなら大阪弁だから「なーんちゅうて」じゃないの。そこを共通語でやったらダメでしょう。どうなんだろう。いやー、なんだか、こっちまでドキドキするね。
という具合に、「横井検事事件」の解釈としてはさまざまなものがあり得るが、いずれの解釈をとるにせよ、事件の中核に「これまで『関西人』であったはずの横井検事が、或る拍子に『関西人』でなくなった」という横井検事の様変わりがあることに変わりはない。そして、私たちが、ビビったり、ドキドキしたりするのは、まさにその様変わりに対してである。
私たちがビビったり、ドキドキしたりする横井検事の様変わりが、単なる「スタイルの切り替え」であるはずがない。「この人はこういうしゃべり方で、この先もずっとこういうしゃべり方のはず。このしゃべり方は、この人の氏素性、ヒトトナリと結びついたしゃべり方のはず。スタイルのように意図的に切り替えはできないはず」と私たちが期待しているもの。その期待が裏切られて様変わりが生じてしまうと、それを見られた方だけでなく、見た方も、ちょうど今のように、それがどういうことなのか、それなりに察しはつくものの、気まずい思いをして、ビビったりドキドキしたりするもの。そういうものが私たちの日常会話の根底にはある。それをことばの「スタイル」とは区別して「発話キャラクタ」と呼んでいる――といったことなら読者諸氏はもう十分にご承知のはずである。だが、なにしろ「キャラクタ」そして「発話キャラクタ」は、この連載の中心的な概念であるから、特に誤解の生じやすい『異人』キャラに関して念には念を入れさせていただきたいと思い、ここ数回(第79回~)を書いている。次回、決着をつけます。(つづく)