郡山に行く用事ができました。各地で方言グッズを探すのは習慣になっていましたが、郡山では駅弁を買わなければなりません。何しろ「ずうずう弁」という名前で、方言の意味の「弁」と弁当の意味の「弁」の両方をかけことばにしている逸品があるからです。
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これを最初に手に入れたのは、1981年。学生と一緒に東北地方の方言調査に行った帰りの列車で、郡山あたりでおなかがすいたので偶然買ったのです。駅弁の中に紙が入っていて、上段の方言と下段の標準語を結びつける形のクイズになっていたので、食べた後も楽しめました。そのあとも、郡山駅を通ったときに手に入れました。クイズの形式と単語は少し変わっていましたが、弁当は健在でした。
しかし今回2009年6月には見当たりませんでした。駅弁の売店で、以前の事情を知っていそうな年期の入ったおばさんに聞いたら、「半年ほど前にやめた」とのことでした。「今はこれなんですよ」と見せてくれたのは、方言との関係が全然ない駅弁でした。
手元のコレクションにある「ずうずう弁」の中のクイズを今改めて見たら、その後の方言研究で新たな位置づけのできた貴重なことばも見つかりました。
「ぼっこっちゃ」は「こわれた」の意味で、「ぼっこれる」は「こわれる」にあたりますが、最後の「レタ」が「ッチャ」になっているのは珍しい現象です。これは近代になってから福島県で生まれた「新方言」です。別の紙では、「もっとくんち」は「もっとちょうだい」と訳されていますが、「くれて」が「くんちぇ」になりさらに「くんち」になったのでしょう。この二つは、ラ行音がタ行音やナ行音とつながるときに、福島県で発音の変化があったとして、説明できます。「げんじょも」は「けれども」の意味ですが、これも同じように説明できます。
駅弁のような、学問的研究では見逃されそうなものからでも、様々な有益な情報が読み取れます。それなのに、方言グッズの一つが今退場したのは淋しいことです。
なお、駅弁については、全国にマニアがいて、インターネットでも様々な情報が得られます。松山駅にも方言を載せた駅弁があります。また郡山駅で手に入らなかった「ずうずう弁」の写真が、下記の製造元のホームページに載っています。
⇒福豆屋の駅弁紹介ページ(//www.fukumameya.co.jp/ekiben.html)へ
編集部から
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。