地域語の経済と社会 ―方言みやげ・グッズとその周辺―

第86回 田中宣廣さん:「方言看板・ポスター『類』」

筆者:
2010年2月13日

この連載で紹介している,方言の拡張活用の種類について,第31回で整理しました。その⑥を,道徳啓発のための非営利的な方言の利用の「方言看板・ポスター」としました。この種のものはほとんどが,看板やポスターを伝達媒体としているからです。

この連載でも,これまで5回,紹介しています。第8回(交通安全:大分)第24回(自転車・バイクの通行/歩きたばこ禁止:京都)第43回(自転車の通行:福岡)第63回(飲酒運転防止:宮崎)第78回(安全運転:宮崎)です。

そういうなか,看板やポスター以外による道徳啓発の方言活用の例がありました。今回は,まず,これを紹介します。

岩手県で不正軽油防止を呼びかける「絶対わがね! 不正軽油」です【写真1】。ガソリンスタンドの「レシートの裏面」を利用しています。レシートは,幅5.6cmの,スーパーなどでも使っているごく普通のものです。小さいですが,そのメッセージが一人一人に行き渡りますね。

【写真1】レシートの裏のメッセージ
【写真1】レシートの裏のメッセージ
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メッセージのうち,「わがね」のところが,岩手県盛岡市あたりの方言です。意味は「ダメ」です。

元は,「わからない」です。東北地方の方言で,「ダメ」の意味でよく使われる表現です。

それがこの方言の音韻の特徴(詳細はここでは省きます)により,[ワガンネァー]から[ワガネ]と変化したものです。

今回,レシートを伝達媒体とする方式が確認されましたので,「看板・ポスター」に『類』を加え,この種のものを,「方言看板・ポスター類」と呼ぶことをあらためて提案します。

岩手の「方言看板・ポスター類」には,最近(2009年12月)出たものがあります。道徳啓発としては少々重いテーマですが,自殺防止キャンペーンのポスターです【写真2】。

【写真2】自殺防止キャンペーンのポスター
【写真2】一人じゃありませんよ。
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メッセージは「おめはん 一人じゃながんすべ」で,岩手県盛岡市あたりの方言です。意味は「あなたさん,一人じゃありませんよね(あるいは)一人じゃないんでしょ」です。

「おめはん」は「お前さま」の転で,岩手の方言では,丁寧語また尊敬語の第二人称代名詞です。「ながんす」は「ない」の丁寧表現です。「がんす」は岩手の丁寧表現法として,第21回第66回第61回の〔補遺〕),第81回で紹介しています。「べ」は「べー」で,ここでは確認の用法です。この方言の音韻の特徴により短音化しています。

自殺防止での方言利用は,方言で語りかけることが,人の心を解きほぐす効果が特に大きいからですね。

筆者プロフィール

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics

井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。

(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

 

  • 田中 宣廣(たなか・のぶひろ)

岩手県立大学 宮古短期大学部 図書館長 教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。

『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』

編集部から

皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。

方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。