去年も暮近い朝のことだ。久しぶりに寝坊した床の中で、とある歌曲をめぐって男女が楽しげに会話しつつ投稿の紹介をするFM番組をぼんやり聴いていた。むかし中学で習い好きだった「水うち清めし朝のちまたに、白露宿せる紅花黄花、花売る乙女の・・・」なる美しい詩句の『花売』という歌が、こともあろうに(原題)『モルモット』(作詞ゲーテ)とは何たる幻滅!といった趣旨の投書が披露され、にぎやかな話題になっていことが、段々明らかになった。作曲はなんとなんと(!)ベートーヴェン、短調の特徴あるメロディで、後でハーモニカでちょっとなぞってみると、ラとシが多く、結構息が苦しい。一葉の『たけくらべ』に、公立小に通う連中が唱歌は公立が本家というような顔をする、と(貧しい)私立の生徒が悔しがる叙述もあり、明治期の唱歌国策論をたまたま目にしたこともあって、少し気になるので本務の合間にぽつぽつ調べてみた。
意外だったのは手元のゲーテ作品集などに「マーモット」の詩が簡単にみつからなかったことである。実はこれは『プルンダースヴァイラー(がらくた村)歳の市の祭り』と題された、俄狂言や謝肉祭劇に類する滑稽風刺劇が出典で、歳の市をあてこんだ色々な登場人物中、芸を仕込んだアルプス・マーモット(鼠の仲間モルモットではなく、兎の仲間)を見世物に投げ銭を集めて旅暮らしをする少年が歌うものだった。1772年ごろ書かれた原作が1778年に宮廷人達の余興にも供されるため改作されたとき、この詩も付け加えられたようで、この「劇」自体ゲーテ作品としてはマイナーなものゆえ、専門家でもないと目につきにくいし、選集程度のものには収められていないようだ。僕がこれを漸くみつけたのは、『クラウン独和』第2代編集主幹・故濱川祥枝先生から頂戴したひげ文字の古い全集だった(ついでながら、最近あるインタヴューで有能かつ魅力的なさる女性編集者が濱川祥枝教授は同性とばかり勘違いしていることがわかり、僕得々として然らざる由縁を述べたてたものであります、合掌)。
4連(節)、総計24行のゲーテ詩『マーモット』だが、ドイツ語部は各連2行しかなく、残りは古風なフランス語リフレーンが各連3行、その変形1行から成っている。ドイツ語行をDとし、リフレーン行をFとし、変形をfとすると、各節は D1-F-D2-F-f-F となるわけだが、Fの部分が「このマーモットと共に」という意味であるのに対し、fの部分は厳密な意味は不明で、多分フランス語とイタリア語をもじった戯れ(si だっけ、la だっけ)であり、歌う少年が当時の世相を反映しサヴォア出身の貧しい旅芸人であることを垣間見せているともとれよう。使われる音は(日本やイタリア式)音階名でいえば、ラとシが頻出、ファとソは出てこない短調メロディで、一種独特の哀歓(と諧謔)がこもっている。さてこそベートーヴェン、一件落着、と言いたかったが、なお一つ疑問が残った。この曲は作品番号(Op)でいえば52-7だが、このあたりは「クロイツェル」(Op.47)やら「ヴァルトシュタイン」(Op.53)、「交響曲第3番」(55)など、大きな一級品が並ぶところだ。その片手間にちょいちょい、というわけではなく、出版こそ遅くなったが、どうやら青年期までをすごしたボン時代の作品らしい。それにしても、数多あるゲーテ詩の中で、よりによってなぜこれをベートーヴェンが選んだのだろうか、ライン河沿いの故郷ボンで実際このような旅芸人に出会う機会もあったのか、この詩に関しては友人仲間や師などの影響ないし情報があったのだろうか。印刷公刊されたのは1817年の「ゲーテ作品集」第9巻であるから、その遥か以前、おそらく二十歳前後には知っていたに違いないが、直接証拠はみつからない。父親がテノール歌手であったこともあってか、ベートーヴェンは歌曲と意外に長い付合いがあることだけは確かだが。
ともあれこのちょっといわくありげな曲が、ゲーテの詩と無関係に、明治の日本では唱歌のメロディとして採り入れられ、数種の歌詞をもつことになった。それらの歌詞はおよそ滑稽とは無関係な「詩的」情操豊かなものであること、たとえば大和田建樹作詞『あすの日和』では「夕山しづかに雲をおくりて、あらしのなごりは窓の小笹に・・・」とある。これらを一種の換骨奪胎と批判することは可能であろうし、賛美歌をふくめ民謡や西洋歌曲に独自の歌詞を付し取り入れた成長期近代日本の「唱歌」には、小国民育成の政治的意図が見え見えなものもあったようだが、ことばとメロディの調和を意識した努力があったことも確かであろう。『マーモット』の歌など原詩の意味を生かしメロディに載せるのはほとんど不可能かもしれない、と承知しつつ、通勤電車のつれづれに、駄句をひねってみた。
(1)渡り来た邦々(くにぐに)、ともはこのマーモット
かつかつの暮しさ、ともはこのマーモット
めぐりシいずラとて、ともはこのマーモット
(2)紳士にも遇い申(も)した、(F)、娘御には目がない、(F)、(f)(F)
(3)淑女にも遇い申(も)した、(F)、ちびっこにも目をくれた、(F)、(f)、(F)
(4)お情けです御喜捨を、(F)、若い衆(し)はひもじい、(F)、(f)、(F)
「お粗末様で」と引っ込むべきところ、なお蛇足を付け加えれば、原詩の第2連(節)と第3連(節)には、hätt’ 及び täte という、接続法とみまがう語が出てくるが、これは南部方言の一種とみてよいだろう。『ファウスト』第1部でグレートヒェンが歌う「トゥーレの王」に類例がある。